小 江 戸 川 越 七 福 神

七番寺 法眞山 弁財天 妙昌寺

アクセスカウンター
平成廿二年一月七日
熊谷地方気象台 最高気温11.5℃ 最低気温0.9℃ 晴れ時々曇り

巡礼・お遍路へ 七福神巡りへ 小江戸川越七福神めぐりへ




法眞山 妙昌寺


御本尊 三寶尊


日蓮宗
御朱印 弁財天



小江戸川越七福神 色紙




秋の七草:藤袴(ふじばかま)

花が藤色で弁の形が筒をなしているからついた名といいます。
乾燥させたものは薬用で利尿、通経、黄疸に効果があるといいます。
花言葉―思いやり、落ちつき

宿りせし人のかたみか藤袴
     わすられがたき香に匂ひつつ   紀貫之



水琴窟

水琴窟は
江戸時代初期の茶人、小堀遠州が考えた
排水装置「洞水門」から発祥したといわれています。
甕(かめ)の底に溜まった水面に水滴が落ちると、
甕の空洞に反響する音色が琴に似ていることから
「水琴窟」と呼ばれるようになりました。

妙昌寺の縁起
妙昌寺は、永和元年(1375)幸町の地に開創、寛保元年当地へ移転したといいます。

新編武蔵風土記稿による妙昌寺の縁起
(野田村)妙昌寺
法眞山と號す、
法華宗、荏原郡池上本門寺末なり、
當寺は昔多賀町にありしを、天和元年ここに移されしとなり、中興開山を日意と云、
寂年は詳にせず、三寶を本尊とす。
辨天社。
當社は古よりの鎮座なれば地主の神と稱せり。
三十番神堂。(新編武蔵風土記稿より)

境内掲示による妙昌寺の縁起
当山は、日蓮宗大本山池上本門寺の末寺として法眞山と号し、室町時代永和元年(一三七五年)現在の幸町に開創。
諸堂は旧多賀町及び旧本町にあり総門は旧江戸町にあったが、江戸時代寛保元年松平伊豆守信綱公が川越城を改修するため、当寺を現三光町の旧浅場孫兵衛侍屋敷跡地に移築したものです。(境内掲示より)

境内掲示による経ヶ嶋辨財天について
室町時代、時の地頭が小石に法華経を書写し、塚を築いて辨財天をまつって守護神としたのが始まりです。
江戸時代、長禄元年に、太田道灌公が川越城を築城する際、辨財天の社が川越城の裏鬼門に向いていたことから、鬼門除けの守護神として尊崇(信仰)厚かったと伝えられています。(境内掲示より)


← 弁財天への道
ここを左折して 70m先が山門です。
紅簾石片岩
紅簾石片岩は長瀞が有名です。 青空に白い雲が鮮やかです。 HF帯のアンテナが建っています。
13時36分 妙昌寺に着きました。 山門
努力する人は
 希望を語り
怠ける人は
不満を語る


井上 靖

本堂 空は青く、雲は白く 扁額「辨財天」
弁天様御尊像の版画 よく分からないですね。
小江戸川越七福神

妙昌寺
(日蓮宗) 三光町二九
第七番  弁財天
弁天様は七福神唯一の女神で、
弁舌、芸術、財福、延寿を授ける神として、
古くから巾広く信仰を集めており、
運を開き、福を招く女神です。

秋の七草  藤袴
宿りせし人のかたみが藤袴
わすられがたき香に匂ひつつ
                 紀 貫之
花が藤色で弁の形が筒をなしているから
ついた名といいます。乾燥させたものは
薬用で利尿、通経、黄疸に
効果があるといいます。
花言葉―思いやり、落ちつき
小江戸川越七福神霊場会
(社)小江戸川越観光協会

松の枝が素晴らしいです。 13時42分經ヶ嶋辨財天入口から発ちました。 加藤仏具店があるので
県道229号線川越停車場線です。
駅に向かって歩いていますが、ここがどこなのか分かりません。
14時13分川越駅に着きました。
川越には三つの駅があります。
この川越駅はJRと東武東上線の駅です。
本川越駅が西武新宿線の駅です。
川越市駅が東武東上線の駅です。
新木場行きが14時30分なので
まだ時間があります。
川越駅
日進駅 日進駅で降りるのは久しぶりです。 駅前通りを歩くのは何十年ぶりでしょうか。