小 江 戸 川 越 七 福 神

五番寺 弧峯山 宝池院 蓮馨寺 福禄寿神

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弧峯山 宝池院 蓮馨寺


御本尊 阿弥陀如来



浄土宗
gohonzon
御本尊、阿弥陀如来像 御朱印 御朱印 福禄寿神



小江戸川越七福神 色紙


    




秋の七草:尾花(すすき)
ススキは穂が獣の尾のような形をしているので尾花ともいいます。
又、すくすくと立つ木の意でススキといわれました。
花言葉―勢力、活力

山は暮れ野は黄昏の芒かな   蕪村



水琴窟

水琴窟は江戸時代初期の茶人、小堀遠州が考えた排水装置「洞水門」から
発祥したといわれています。
甕(かめ)の底に溜まった水面に水滴が落ちると、
甕の空洞に反響する音色が琴に似ていることから「水琴窟」と呼ばれるようになりました。



蓮馨寺の縁起

蓮馨寺は、天文十八年(1549)川越城主大導寺駿河守政繁が母の蓮馨尼を追福するため、見性寺の住僧感誉上人を招いて創建されました。(のち、感誉上人はのち芝増上寺十世となっています。)
慶長七年(1602)に設けられた浄土宗関東十八檀林の一つに数えられ、天正十一年(1591)寺領20石を拝領した
御朱印寺です。

川越市掲示による蓮馨寺の縁起

蓮馨寺は、天文十八年(1549)、時の川越城主大導寺駿河守政繁が母の蓮馨尼を追福するために、感誉上人を招いて開山した浄土宗の寺で、本尊は阿弥陀如来である。
慶長七年(1602)浄土宗関東十八檀林の制が設けられると、この寺もその一つに列せられ、葵の紋所が許されるなど檀林(僧侶の大学)として栄えた。
しかし明治二十六年に鐘楼及び水舎を残して全焼してしまい、現在の堂は、その後の再建になっている。
入口正面の呑龍堂は大正初期の建築で、民衆から慈悲の生仏と崇められた呑龍上人の像が
安置されている。
また、元禄の銅鐘(市指定文化財)は、入口向かって右手前の鐘楼に掛かっている鐘で、元禄八年(1695)鋳工木村将監の作である。       
この寺は室町末期の創建であるが、本尊である木造阿弥陀如来座像は、明らかに鎌倉時代の様式が見られるので胎内銘にある弘安時代の作と思われる。                        (川越市掲示より)


新編武蔵風土記稿による蓮馨寺の縁起

孤峰山實池院と号す。
浄土宗、京都知恩院の末、関東十八檀林の一なり。
開山鎮蓮社感誉存貞は当所の城主大道寺某が姪なり。
初め小田原の傳肇寺に投じて薙染す。
下総国飯沼弘経寺の鎮誉及び増上寺の果誉等の嗣法にて、当国足立郡平方馬蹄寺に寓居す。
天文の始時の城主大道寺駿河守政繁が母、感誉に帰依して家人相澤持重と云ものを使として招請す。
感誉これに応じ城下へ来りて、假に坊居を営みて居る。
其後改て一寺を建立せしもの則当寺なり。
これ政繁が母菩提の為に営みし所なるを以て、その法謚實池院柔誉光澤蓮馨大姉の字をとりて、寺号院号に用ひしとなり。
かの假の坊舎につきて一寺とせしものは、今の高澤町の見立寺にして、感誉を開山とす。
後感誉は永禄六年当山より江戸の増上寺に転住し、同九年辞して当寺に帰る。
明る十年八月十二日蓮馨尼歿す。
則感誉導師たり。
感誉は天正二年五月十八日寂す。
殊に高徳の人にて、在世の時開闢する処の寺院若干あり。
高澤大蓮寺、清戸長命寺、信州綱嶋安養寺、相州岩瀬大長寺、深谷専念寺等なり。
信徒三千人、弟子六百人、その上足は増上寺観智国師、浄国寺・勝願寺二寺の開山清巌、幡随院・善導寺の二開山幡随意、大光院開山呑龍、大善寺開山讃誉等なり。
感誉が化導の廣きこと知るべし。
当寺は天正十九年十一月寺領20石を賜はれり。
其地古は五村に散在せしが、松平伊豆守が領主たりし頃、寺領をかへて今の如く門前の地を領すと云。
今の堂宇は桂昌院殿の御寄附なりと云傳ふ。
本尊弥陀の三尊坐像にて長二尺五寸許、佛工安阿弥夢中の告によりて、彫刻する所にして無双の霊像なりと云傳ふ。                             (新編武蔵風土記稿より)


蓮馨寺所蔵の文化財

元禄の銅鐘   元禄八年(1695)         (川越市指定文化財)


               
壇林 蓮馨寺 蓮馨寺入口 子育 呑龍上人

小江戸川越七福神

蓮馨寺(浄土宗) 連雀町七 ― 一
第五番 福禄寿神
福禄寿神とは幸福、高禄
長寿の三徳を具えて人に与
える方で、右手に霊芝、左
手に神亀を持ち、癌や脳卒
中を治しなさい。そうすれ
ば福禄寿が得られますと教
えています。

秋の七草  雄 花(すすき)
山は暮れ野は黄昏の芒かな
                蕪村
ススキは穂が獣の尾のよ
うな形をしているので尾花
ともいいます。又すくすく
と立つ木の意でススキとい
われました。
花言葉―勢力、活力

小江戸川越七福神霊場会
(社)小江戸川越観光協会


蓮  馨  寺

                           
 所在地 川越市連雀町

蓮馨寺は、天文十八年(1549)、
時の川越城主大導寺駿河守政繁が母の蓮馨尼を
追福するために、感誉上人を招いて開山した浄土宗の寺で、
本尊は阿弥陀如来である。
慶長七年(1602)浄土宗関東十八壇林の制が設けられると、
この寺もその一つに列せられ、
葵の紋所が許されるなど壇林(僧侶の大学)として栄えた。
しかし、明治二十六年に鐘楼及び水舎を残して全焼してしまい、
現在の堂は、その後の再建になっている。
入口正面の呑龍堂は大正初期の建築で、
民衆から慈悲の生仏と崇められた呑龍上人の像が安置されている。
また、元禄の銅鐘(市指定文化財)は、
入口向って右手前の鐘楼に掛かっている鐘で、
元禄八年(1695)鋳工木村将監の作である。
この寺は室町末期の創建であるが、
本尊である木造阿弥陀如来座像は、
明らかに鎌倉時代の様式が見られるので
胎内銘にある弘安時代の作と思われる。

昭和五十年三月
                     川  越  市


元禄の銅鐘

水子地蔵尊
この世の光を見ずして逝った胎児や生まれて間もなく亡くなった子供を、俗に水子と云いますが、
そうした幸薄い子等は、今の世にどれ程多いことでしょう。やる方ない悲しい思いを持つ方々は
どうかこのお地蔵様に祈って、水子の冥福と己が罪障の消滅を念じて下さい、薄命不憫な子等を
お救い下さるのが水子地蔵尊です。        当山
特別供養御希望の方は寺務所にお申出下さい
お地蔵様の縁日は毎月二十四日です

呑龍堂 三つ鱗 内陣
小江戸川越七福神第五番  福禄寿 謹賀新年
三つ葉葵 呑龍上人 扁額「弧峯山」

呑龍上人


 武蔵野国埼玉郡の生まれ。(弘治2年〜元和9年)

 芝増上寺で修行した後、八王子の大善寺の住職を務める。

 将軍徳川家康の命により、上州太田の大光院を建立する。

 貧しい子供を手厚く保護したことから、
「子育て呑龍」と呼ばれ民衆から尊敬された。

 呑龍上人が還暦の年、親の病気を治そうと、
国禁を犯し鶴を殺した少年を匿い罪人となり、少年を伴い逃走。

その後、恩師であり、日本国最高の僧侶であった
観智国師の遺言によって赦免となり、
66歳の春に大光院に帰山する。

 元和9年、病床にあった上人は、
「9日の正午は往生の時であろう。
雷鳴がとどろくが、それは往生のしらせである」
と弟子たちに言い残す。

9日の正午、雷鳴がとどろく中、息を引きとった。

 

本 堂
高祖善導大姉
千 三 百 年
宗祖円光大師
御生誕八百五十年
記念
弧峰山四十七世
締誉上人代
献燈の向こうに本堂を見る。 名代焼だんご 松山商店 蓮馨寺    浄土宗
焼だんご いなりずし かんぴょう巻き 合計500円

川越で焼だんごって言ったら、まずここを思い浮かべる方が多いんじゃないでしょうか?

境内でゆっくり落ち着いて食べる事もできるし、何より雰囲気がいいです。

                                   (ブログ 小江戸川越、おいしいものを探してより)