浅 草 名 所 七 福 神 巡 り






中国に古くから伝わる道教の祖、老子が仙格化されたものといわれるこの神は南極星の化身ともいわれ、
白髪長頭で長寿の福徳を記した巻物をつけた杖を持つ姿が描かれます。
また、齢二千年の玄鹿をはべらせているときもあります。

平成廿二年一月六日

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色紙



七福神信仰

人は、禍福を思って悩み、福運を求めて人生をさまよい、ゆえに神仏の信仰が生まれました。
 「開運」とひとことで片付けられないのが、人それぞれの願望が一様でないからです。
家内安全、商売繁盛、縁結び、出産、成長、立身出世、学業成就、健康長寿など人の願望にはいろいろあります。
 七福神の信仰も、こうした人の願望から発露したものです。
 仁王経という経典の中に、「七難即滅七福即生」とあります。
 つまり、教え導くことを篤く信じ行えば世の中の七つの大難(太陽、星の異変火災、水害、風害、旱害、盗難)は
たちどころに消滅し、七つの福が生ずるというのです。
 この七つの福というのは、その時代、その人の願望によって合理的に解釈されるもので、
あなた自身の「心」の在り様といえます。
 といっても、七福神の神徳を信ずる事を篤くして、人生を救われる人がたくさんいることから、
その信仰が現代に継承されていることは確かなのです。



御朱印


寿老神をお祀りしている石浜神社は、聖武天皇神亀元年(724)9月、勅願によって当地に鎮守され、
源頼朝が藤原泰衡征討の折、当社に祈願して
「神風や 伊勢の内外の大神を 武蔵野のここに 宮古川かな」と詠み、
大勝の目的を果たしたので後日、社殿を造営寄進し、神恩に報いました。
 
建久・正治(1190~1200)のころ、千葉氏、宇都宮氏の尊崇が篤く、
また関八州の庶民が伊勢参宮にかえて当社に詣で、おはらいを受けました。 

当地は東に隅田川、西に富士、北に筑波を遠望する清浄な地で神域にふさわしく、
隅田河畔の名所として江戸庶民の信仰厚く、
隆昌をみたので「隅田名勝八景」「江戸名所図会」「東都歳時記」などにとりあげられております。 

明治5年に郷社に定められました。
白ひげ西地区再開発事業により昭和63年9月に現在地に遷座しました。

 境内には真先稲荷、招来(おいで)稲荷、江戸、北野、妙義八幡、粟島水神、
大工祖神あらかの摂末社、それに富士遥拝所があり、
亀田鵬斎の隅田川詩碑、「伊勢物語」の都鳥の碑などもあり、また石浜鳥居は独特なものです。

特定はできませんが、当地は石浜城があったところといわれ注目を集めています。
伊勢の大神様をお祀りしていることから、朝日神明宮とも言われています。




東都名所図絵隅田川渡しの図


巡礼・お遍路へ 七福神巡りへ 浅草名所七福神巡り


更に、川の手通りを北上します。 浅草名所七福神鳥居が見えてきました 日の丸がたなびいています。
鳥居
第一鳥居(参道入口手前)は、安永八年(1780)麁香様の開帳の年に建立。笠木(横柱の上部のもの)のカマボコ型様式は神明造りには珍しいものです。第二鳥居(参道の奥)は、寛延二年(1749)の建立。柱に刻まれている山川、高木は橋場の名主の名。様式で額束(がくづか:横柱の中央にある短い支柱)のある型は、神明
作りでは珍しいとされます。
浅草名所七福神 壽老人 石浜神社 安永八年歳在巳亥季夏六月
吽形狛犬 鳥居 阿形狛犬
神輿庫 本殿 石が高く積まれています。富士塚です。
冨士山遙拝所 白狐祠には、白狐尊像(明和5(1768))が祀られています。
庚申塚 見ざる 聞かざる 言わざる 冨士山遙拝所
宝暦8年(1758)の建立。
 富士遙拝所の両脇に庚申塔があります。
山頂の碑 御出稲荷神社 宇賀神


 「直正 天地の照る日のもとはあしわらや
三五九一の光ならむ」

三五九一 : 三国一 : 三国とは唐土、天竺、日本のことで転じて全世界のこと

狛犬 御出稲荷神社 狛犬
石浜神社本殿 扁額「石濱神社」

真先稲荷神社

ご祭神は、豊受姫神(とようけひめのかみ)、
天文年間に石浜城城主となった千葉之介守胤が、
ここに一族一党の隆昌を祈って宮柱を築き、
先祖伝来の武運守護の、尊い宝珠を奉納安置申して以来、
真先かける武功という意味にちなみ、真先稲荷として世に知られました。
大正15年(1926)、石浜神社に併合されました。


江戸神社 

北野天満宮 

妙義八幡神社 

壽老神 

宝徳大黒天


宝得大黒天 寿老神
昭和52年(1977)、浅草七福神の復活に際し、延命長寿の神として奉安されたものです。
祭壇 12時13分 石浜神社を発ちました。 橋場二丁目の交差点です。