浅 草 名 所 七 福 神 巡 り



毘沙門天


平成廿二年一月六日

東京大手町  最高気温 10.4℃ 最低気温 3.7℃ 晴れ後快晴

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色紙



七福神信仰

 人は、禍福を思って悩み、福運を求めて人生をさまよい、ゆえに神仏の信仰が生まれました。
 「開運」とひとことで片付けられないのが、人それぞれの願望が一様でないからです。
家内安全、商売繁盛、縁結び、出産、成長、立身出世、学業成就、健康長寿など人の願望にはいろいろあります。
 七福神の信仰も、こうした人の願望から発露したものです。
 仁王経という経典の中に、「七難即滅七福即生」とあります。
 つまり、教え導くことを篤く信じ行えば世の中の七つの大難(太陽、星の異変火災、水害、風害、旱害、盗難)は
たちどころに消滅し、七つの福が生ずるというのです。
 この七つの福というのは、その時代、その人の願望によって合理的に解釈されるもので、
あなた自身の「心」の在り様といえます。
 といっても、七福神の神徳を信ずる事を篤くして、人生を救われる人がたくさんいることから、
その信仰が現代に継承されていることは確かなのです。


  大聖歓喜天(聖天様)      毘沙門天

御朱印


古い縁起によりますと、推古天皇三年(595)9月20日、突然この土地が小高く盛り上がり、
そこへ金龍が舞い降りたと伝えられています。
 この不思議な降起は実は十一面観音菩薩の化身「大聖歓喜天」がご出現になるおめでたい先触れであったのです。それから6年後、天候不順に人々は悩まされていました。
永い日照りが続き、人々を飢えと焦熱の地獄におとしいれました。
そのとき大聖歓喜天がご出現になり、こうした人々を苦しみからお救いになられたそうです。
それ以来、民衆からの篤い尊信が集まり、平安時代になると天安元(857)年、慈覚大師が東国巡拝のおり、
当山にこもって21日の間浴油修行をなされて国家安泰、庶民の生活安定を祈願し、
自ら十一面観世音菩薩像を彫って奉安されたと伝えられています。
 そして、ここに当山の信仰の基礎が形成され、その後ますます民衆の尊信をあつめるに至りました。
 ことに江戸時代元禄華やかなりし頃には境内地、諸堂が整備されて今日の土台が完成されました。
 以来、関東大震災、東京大空襲などにも遭いましたが、今日まで篤い尊信は続いています。

ご本尊の大聖歓喜天は仏法を守護する大本の神様として、
ことに庶民の迷いを救い、願いをかなえてくださる広大な包容力をもっています。
当山の紋章には巾着と二股大根が組み合わされており、
巾着は砂金袋のことで商売繁盛を、二股大根は無病息災、夫婦和合、子孫繁栄をそれぞれ意味し、
大聖歓喜天の福徳を示しています。





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東都名刹 待乳山聖天  建設中の東京スカイツリー 言問橋 警視庁浅草警察署 聖天町交番
初詣 大根まつり 待乳山聖天 奉納 大般若講大根まつり 浅草名所七福神巡り
建浅草名所七福神 大般若講大根まつり 境内に入ると大根が並んでいます。
手水舎
吽形の狛犬 本堂に続く階段です。 阿形の狛犬
小川了司殿     奉納神楽 本堂 大根が供えられています。
聖天宮
築地塀
江戸時代の名残りをとどめる唯一のもので貴重な文化財である。
全長二十五間(45.5㍍)  広重の錦絵にも描かれている。


待乳山聖天宮・今戸橋 

待乳山聖天の提灯 出世観音像
出世観音像
昭和十一年境内整地のおり
御頭のみが出土され足利末期
(1600年頃)の作と鑑定された
学業芸道に志す者の尊信を
あつめている
歓喜地蔵尊
数度の火災に遭い
その尊容とどめていないが
古来より子育地蔵として伝承され、
霊顕あらたかな尊として
信仰されている
多くの石仏が並んでいます。
歓喜地蔵尊はどれでしょうか。
このお堂には何が祀られているのでしょうか。
二叉大根 見ざる 言わざる 聞かざる 南無阿弥陀仏 三猿
石仏群
淺草名所七福神 淺草名所七福神  淺草名所七福神 待乳山聖天
御本尊 聖天さま
浅草名所七福神の内
毘沙門天さま
大般若講大根まつり 11時02分 待乳山聖天を発ちました。