第七期 二日目
平成23年9月18日

高松  最高気温31.4℃  最低気温24.6℃ 晴れ時々曇り
      
(お遍路交流サロン〜八十八番霊場大窪寺)
八十八番霊場 醫王山 遍昭光院 大窪寺
                                        いおうざん        へんじょうこういん        おおくぼじ 
平成23年9月19日 大窪寺へ

カウンター

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醫王山 大窪寺

真言宗大覚寺派

御本尊 薬師如来

オン
コロコロ
センダリ
マトウギ 
ソワカ
御詠歌

南無薬師
諸病なかれと
願いつつ
詣れる人は
大窪の寺
御朱印 御影

 養老元年に行基菩薩がこの地を訪れた際に、霊夢を感得し草庵を建て修行をしたと言われています。
弘仁7年に、唐から帰国した弘法大師が、現在の奥の院近くの胎蔵ヶ峰という岩窟で、
虚空蔵求聞持法を修法し堂宇を建立しました。
等身大の薬師如来坐像を彫造し、本尊とされました。
また、唐の恵果阿闍梨より授かった三国(印度、唐、日本)伝来の錫杖を納めて大窪寺と名づけ、
結願の地と定めました。
本堂西側にそそりたつ女体山には奥の院があります。
大師が本尊に水を捧げるために独鈷で加持すると清水が湧き出たと伝えられています。
 女性の入山が、早くから認められ女人高野としても栄え、一時は百以上の堂宇を誇っていました。
しかし、天正の兵火や明治33年の火災などで寺勢は苦難を繰り返します。
高松藩主の庇護や歴代住職の尽力により興隆し、結願聖地の法灯を守り続けています。
「同行二人」を共にした金剛杖などは、大師堂脇の寶杖堂(ほうじょうどう)へ奉納されます。
これらは毎年春夏の「柴灯護摩供(さいとうごまく)」で供養されます。 

 通常薬師如来は左手に薬壺を持っていますが、大窪寺の本尊である薬師如来はホラ貝を持っています。
人々の悩みや心の霧をホラ貝で吹き払うためでしょうか。(秘仏です)


11時16分 県道377号線に戻りました。ススキが秋を告げていました。
助光(すけみつ)バス停辺りに来ますと、集落が見えました。
この交差点を左折すると大窪寺まで5qでした。
竹屋敷の大きな看板が出ていました。
道路の右側には小学校が見え、ここには新しい綺麗な休憩小屋がありましたので一休みしました。
テーブルには小学生の質問が書かれてましたので答えておきました。
公園の一角にデジタル温度計が設置されてました。
たくさんのオートバイが隊列を組んで通り過ぎて行きました。
      光明眞言二百万遍供養塔   東谷バス停の時刻表を見ると、もうすぐでバスが通りそうでした。
ここの分かれ道は右ではなく左に進みました。
空はどんよりと曇っていましたが、雨が降る気配はなく照らされないので助かりました。
登り坂もここが最高点のようでした。
12時05分大窪寺まで4q地点を珍しく観光バスが通りました。 竹屋敷口 三十丁石
施主 高松塩屋町 中條 三十丁石                  廿九丁石
12時14分 竹屋敷に着きました。
ベンチとテーブルがありましたので休憩しました。そばやうどんの幟が誘惑してましたが、寄りませんでした。
お地蔵様には安永三年甲午(1774)の年号が、こちらの丁石には宝暦十三年(1763)とありました。 
12時32分 稲刈りの終わった田圃を行くと、県道から遍路道に分かれる地点に来ました。
紅いシールは目立つので遠くからでもよく分かりました。大窪寺まであと2.3qとなりました。
薄日が射してきました。 足元を見ると雨蛙が一匹いました。危うく踏んでしまうところでした。
やはり自動車道でない方が歩いていて趣がありました。  蹴切り岩を見越す二つの丁石 
誰にも会わずに遍路道を歩き続けました。
緩やかな登り坂になってきました。
12時57分 ちょうど木陰がありましたので荷物を下ろしました。
13時07分大窪寺まで0.7qとなりました。土石流危険渓流 台風15号の豪雨は大丈夫だったでしょうか。
大きな指があと少しで結願所に着くことを表しているようでした。
13時16分 遠くに門が見えて来ると、仁王門がはっきりとしてきました。
とうとう結願したんだ、歩き通したんだ、自分の足で自分の身体でここまで来たんだ、
と思うと足が震え、全身に鳥肌が立ってきました。
ここまで歩き通せたのは、丈夫な足と身体を与えてくれた両親に思わず「有り難う」の言葉が出てきました。
と同時に気持ち良く送り出してくれた家族や職場の方々のお陰だと感謝の気持ちでいっぱいになりました。
四國霊場  結願所            醫王山 大窪寺
仁王門には大きな醫王山の扁額が掲げられてました。
仁王門には、厳つい顔をした阿吽の二王様が立っていました。
仁王門の裏側には大きな草鞋が納められていました。
ほとんどの方がこちらからではなく大師堂の方から出てきて写真を撮っては戻って行きました。
手を洗い鐘楼に上がり鐘を撞きました。
鐘を録画したのですが、残念なことに鐘の音が上手く入りませんでした。
大師堂が先にありましたが、本堂へ向かいました。
寶杖堂 金剛杖が納められているお堂
   原爆の火が灯されてました。         同宿したご夫婦がいらっしゃいました。
       結願修行大師                     本堂の前に来ました。
先に、本堂の手前右側にいらっしゃる五大明王の不動明王、降三世明王、軍荼利明王、
金剛夜叉明王、大威徳明王をお参りしました。
お灯明とお線香を上げてから本堂に上がり、お写経を納めました。
納め札を納札箱に入れ、お経を上げました。
御本尊は薬師如来様ですが薬壺の代わりに法螺貝を持って厄難諸病をふきはらうといわれています。
残念なことに秘仏なので拝めませんでした。
急にお参りする人が大勢押し寄せてきました。 観光バスが着いたようでした。
あなうれし ゆくもかへるもとどまるも われは大師と二人づれなり
納経所でお軸と笈摺、納経帖に御朱印をいただきました。
皆さん杖や菅笠を納めておりましたが、私は持って帰ることにしてましたので納めませんでした。
本堂の後ろには二重多宝塔が見え、胎蔵ヶ峰がそそり立ってました。
大師堂に来ると、二人連れのお遍路さんが尺八を奏で始めたので、
思わず聞き入ってしまいました。
大師堂にしばらくいると、他のお遍路さんが結願証を見せ合っているのを知り、
自分は持っていないことに気付いて納経所に戻っていただきました。(有料)
もう一度本堂、多宝塔、胎蔵ヶ峰を拝んで、山門の方へ歩きました。
西安の月 長安の月 おぼろ 日本・中国友好への道
田 中 角 栄
大 平 正 芳
平 山 郁 夫
厄年 善人よ
こころざし 有得
結願所
神童 眞魚  厄よけ坂
山門から出るとお地蔵様がいらっしゃいました。 大窪寺略縁起 
大窪寺山門
14時53分 山門から参道に出ると観光バスが停まってました。先ほどの団体さんのかもしれません。
お店に入り、アイスクリームを昼食代わりに食べました。  大窪寺バス停  
是ヨリ 切幡寺五里
白鳥○里半
ここかからのバスで志度バスストップに向かい、高速バスで大阪に行きます。
大阪に泊まって翌日高野山にお礼参りに行かれます。
15時32分 今晩お世話になる民宿八十窪に着きました。
2階の百合の間に案内されました。
小綺麗な六畳ので洗面所とトイレもついてました。
金剛杖が掛けられるように工夫されてました。 御朱印が最後まで押された笈摺
交流サロンで戴いた任命書、絵葉書、DVD
17時35分 下に降り食堂で夕食をいただきました。
お祝いにお赤飯があり、おかずもたくさん出され食べきれないほどでした。
しかも後からお蕎麦と天ぷらが出てきました。お祝いなのでBEERを頼みました。

お遍路さんは私の他に歩きの方と自転車の方がいらっしゃいました。
歩きお遍路の方は、今日遍路道を歩いて来たそうで危なくなかったとのことでした。
徳島の方なので明日の台風の影響が出る前に家に着けそうだと言ってました。
自転車の方は、埼玉なので明日徳島から自転車を荷物として送ってフェリーで帰るそうです。
話からすると、明日の台風15号の強い風雨の中を歩いて行くのは私だけのようでした。

女将さんのお孫さんはソフトボールのキャッチャーでオリンピックに二度も出て活躍されたそうです。
オリンピックの種目ではなくなったことに悔やまれてました。
女将さんはお四國を19回廻ったのであと2回廻りたいとのことでした。
そうすれば21回になり、お大師様の21になるので自分では満願となるんだと話されてました。
18時30分 夕食が終わって部屋に戻ると床は敷かれてました。
女将さんが敷いてくださったのだと思わず頭が下がりました。 ありがとうございました。
結願出来たのは自分の力だけではなく、他人のお陰でなのだと本当に思いました。