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第七期 一日目 | |||
平成23年9月17日 |
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高松 最高気温30.1℃ 最低気温24.7℃ 曇り時々雨晴れ間あり 台風15号の影響で天気の変化著しい |
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(志度バスストップ〜八十六番霊場志度寺) | |||
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ふだらくさん しどじ |
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巡礼・お遍路へ![]() |
歩きお遍路へ![]() |
歩きお遍路 第七期へ![]() |
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補陀落山 志度寺 真言宗 御本尊 十一面観世音菩薩 オン マカ キャロニキャ ソワカ |
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御詠歌 いざさらば 今宵はここに 志度の寺 祈りの声を 耳に触れつつ |
御朱印 | 御影 | ||
仁王門を入ると左側に海女の墓があります。 謡曲「海士」で知られる伝説によれば、天智天皇の頃、藤原不比等が父鎌足の供養に奈良興福寺の建立を発願しました。 唐の高宗皇帝の妃であった妹は、その菩提にと三つの宝珠を船で送りましたが、志度の浦で龍神に奪われました。 兄の不比等はあきらめきれず、姿をかえて志度の浦へ渡り、土地の海女と夫婦になり、一子・房前をもうけました。 やがて海女は観世音に祈願し、夫とわが子のために命を捨てて龍神から宝珠をとりかえしました。 不比等は海辺の近くに海女の墓と小堂をたて「死度道場」と名付けました。 後に、房前は母の追善供養に堂宇を増築し、寺の名を志度寺と改めるました。 寺伝によれば推古天皇の三十三年に志度の浦に楠の霊木が漂着し、 園子尼がこの霊木で観世音の尊像を刻みたいと念じたのがその始まりだといわれています。 現在の本堂・仁王門は寛文十年(一六七〇)に建立されました。 五重塔は昭和五十年、大阪に出て成功した当地出身の竹部二郎氏が建立しました。 |