第二期 四日目
平成22年5月1日

室戸岬   最高気温18.7℃  最低気温12.4℃  晴れ
      
(廿四番霊場〜廿五番霊場)
廿五番霊場 宝珠山 津照寺 真言院
                   ほうしゅざん       しんしょうじ    しんごんいん

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宝珠山 津照寺

真言宗豊山派

御本尊 楫取地蔵大菩薩

オン カカカビ

サンマエイ

ソワカ


御詠歌

法の舟

入るか出づるか

この津寺

迷ふ我身を

のせてたまへや


御朱印 御影

津照寺の歴史・由来

 室津港を見下ろす小山の上にたたずむ「津照寺」(しんしょうじ)は、通称「津寺」(つでら)と呼ばれています。
弘法大師空海上人が四国御修行の砌、山の形が地蔵菩薩の持つ宝珠(ほうしゅ)に似ているところから霊地とし地蔵菩薩を自ら刻まれ本尊とし、宝珠山真言院津照寺と号されました。
 はじめ、長曽我部氏の庇護をうけ津寺村と称して、七町余の地高を有しその後、山内氏が国主として入国してより、更に一町五反余の田地を寄附され寺院の運営も全て藩営とされ、中老格をもって遇され隆盛を極めておりましたが、明治の廃仏毀釈に遭い、地領は一旦政府に没収亦は小作農民に払い下げとなり、寺は廃寺とされました。荒廃にまかすこと約十数年明治十六年ようやく寺名復興を許され、今日に至ったのでありますが、寺域は極度に狭められ昔日のおもかげはなく、只本堂が地蔵堂として残り、御殿と申された庫裏の一角が当時小学校として残っておりました。
現在、小学校は移転され、大師堂は昭和38年、本堂は昭和50年に新築されたものです。

【楫取地蔵の由来】

御本尊延命地蔵を楫取地蔵(かじとりじぞう)という由来を申しますと、
慶長七年秋の頃山内家初代一豊公が室戸の沖で暴風雨に遭い困難いたされた時、
何処からともなく大僧が現れ船の楫を取って御船は無事室津の港に入港する事が出来た。
ほっとした所で先程の大僧の姿が見えないがともあれ探して津寺へ参詣してみると
本尊地蔵菩薩の御体が濡れており、大僧が本尊地蔵菩薩であった事がわかった、
之より本尊が楫取地蔵と申し伝えられるようになりました。
この霊験記は、旧記南路史に明記されて居ります。
また、今昔物語には「地蔵菩薩火難ニ値ヒ自ラ堂ヲ出ルヲ語ル」第六として津寺の本堂が火難に遭った時、
本尊地蔵菩薩が僧に身を変えて村人に知らせ、火難を逃れたという物語が出ており、古くは火事取りの意味でも、かじとりじぞうと呼ばれております。



津照寺へは道なりに進めばいいんですね。右へ進むと国道55号線で高知に行ってしまいます。
津照寺へは300m、200mと近付いています。
8時31分 四国第二十五番霊場 津寺に
着きました。
四国霊場第二十五番 万体地蔵尊奉安殿 宝珠山 津照寺
鯉のぼりとフラフが元気よく泳いでいます。 本堂への急な階段が見えます。
写経大師尊像 緋鯉と吹き流し
内陣 奉納の提灯
急な階段です。 大師堂 親子連れでしょうか。
鯉のぼりとフラフ
納経所 鯉のぼりとフラフ 海上安全 交通安全 
御本尊 楫取地蔵大菩薩
             ← 津照寺    26番 金剛頂寺  9時14分津照寺を発ちました。