第二期 四日目
平成22年5月1日

室戸岬   最高気温17.2℃  最低気温10.5℃  晴れ
      
(廿四番霊場) 2日目  
廿四番霊場 室戸山 最御崎寺 明星院
(東 寺) 
                 むろとざん            ほつみさきじ       みょうじょういん

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室戸山 最御崎寺

真言宗豊山派

御本尊 虚空蔵菩薩

ノウボウ

アキャシャキャラバヤ

オン

アリキヤ

マリボリ

ソワカ

最御崎寺の御影 御詠歌

明星の

出でぬる方の

東寺

くらき迷いは

などかあらまし
御朱印 御影

 正しくは最御崎寺ですが、普通、東寺と呼ばれており、室戸岬の突端の山の上にあります。
 弘法大師が十九歳の時、仏法の迷いを払わんとして、大和の国大峰山から高野山ヘ、更に阿波の太龍寺へ登りました。
命がけの難行苦行をされましたが、悟りを開くことができませんでした。
そして、次に来られたのが、この室戸だったのです。
果てしなく広がる太平洋の自然を前にして、雨の日も風の日も勤行を続け、ついに悟りを開かれたのでした。
「法性の室戸と言えど 我住めば 有為の波風 立たぬ日ぞなし」と詠まれたように、東の空に光を放つ明星の暗示により悟りを開かれました。
そこで山の上にお寺を建てられましたのが、この廿四番東寺で、御本尊の虚空蔵菩薩はお寺の創建と共に大師が刻まれたものです。

宿坊の前にあります広葉樹林


室戸岬Googleマップのキャプチャ



 土佐湾の海面  石造如意輪観音半跏像 天皇御陵百代の御朱印   
明治天皇 昭和天皇 神武天皇 明治天皇 昭和天皇 神武天皇 朱雀天皇 醍醐天皇 宇多天皇
孝元天皇        孝霊天皇 顕宗天皇 清寧天皇 雄略天皇 安康天皇 安徳天皇 高倉天皇 六條天皇 二條天皇
桓武天皇 光仁天皇 履中天皇 仁徳天皇 石造如意輪観音半跏像
堀河天皇 一條天皇 花山天皇 推古天皇 崇峻天皇

ここで天皇御霊の御朱印をいただく方法を紹介します。

御陵印(畝傍陵墓管区事務所)

本来は各御陵を参拝していただくべきものであろうが、
現在は5ヶ所の陵墓監区事務所で保管されているため、比較的簡単にいただくことができる。
ただし、御朱印と違って自分で押印するため、事前の準備も必要となる。

御陵印のいただき方について紹介しよう。

御陵印がいただける場所と時間

もともと御陵印は各御陵もしくは御陵を管理する部事務所で管理しており、
御陵印をいただくためには1都2府5県にある御陵に行かなければならなかった。
しかし現在は陵墓監区事務所(多摩・桃山・月輪・畝傍・古市)の管理となっているため、
5ヶ所の事務所ですべての御陵印をいただくことができる。

1.多摩陵墓監区事務所
所在地:東京都八王子市長房町1833    
最寄駅:高尾駅(JR中央線・京王電鉄高尾線)   
※大正天皇陵・昭和天皇陵のある武蔵陵墓地(多摩御陵)に入ったところにある。
管理している御陵印:2印

2.桃山陵墓監区事務所   
所在地:京都市伏見区桃山町古城山
最寄駅:桃山駅(JR奈良線)・桃山御陵前駅(近鉄京都線)
・伏見桃山駅(京阪本線)桃山南口駅(京阪宇治線)
※明治天皇伏見桃山陵の拝所のそばにある。
管理している御陵印:26印及び神代三陵の3印、計29印

3.月輪陵墓監区事務所
所在地:京都市東山区泉涌寺山内町34-2    
最寄駅:東福寺駅(JR奈良線・京阪本線)
※泉涌寺の惣門を入り、
観音寺陵・後月輪東山陵参道の手前の道を今熊野観音寺方向に入ると、
すぐ右奥に見える。
管理している御陵印:18印

4.畝傍陵墓監区事務所
所在地:奈良県橿原市大久保町71-1    
最寄駅:畝傍御陵前駅(近鉄橿原線)
※神武天皇畝傍山東北陵の拝所のそばにある。
管理している御陵印:30印

5.古市陵墓監区事務所
所在地:大阪府羽曳野市誉田6-11-    
最寄駅:土師ノ里駅・道明寺駅・古市駅(近鉄南大阪線)
※応神天皇惠我藻伏崗陵の参道西側にある。
管理している御陵印:17印 <管理している御陵印:2印


いただける時間

各御陵の参拝時間については以下の通り。    
1.多摩:午前9時~午後4時(参入は午後3時30分まで)    
2.桃山・月輪・畝傍・古市:午前8時30分~午後5時

多摩以外の4ヶ所は御陵印の数が多いため、押印にかなりの時間がかかる。
先にいただいている人がいる場合、かなり待つことになる可能性があるため、
時間には余裕を持っておいたほうがよいだろう。

準備するもの

<御陵印は自分で押印するので、
必ず準備するべきものと、
準備しておいたほうが便利なものがある。
なお、押印は無料なので、金銭を準備する必要はない。

必ず準備するべきもの

1.集印帳
特に制限はされていないが、御朱印に準じるものとして集印帳などを準備すべきだろう。
白紙のノートでもダメとは言えないが、用紙が薄いので裏写りするのではないかと思われる。
御陵印専用の集印帳も販売されているが、一般の御朱印帳でも問題ない。

準備されているのが練り朱肉ですぐには乾かず、
しかも一度に多くの印を押すことになるため、当て紙は多めに準備しておくことをお勧めする。
コピー用紙または安い半紙を集印帳のサイズに切断すればよい。

3.ティッシュペーパー
多摩陵墓監区事務所以外は印の数が多く、朱肉も本格的な練り朱肉なので、
気をつけていても手に朱肉がつく。
陵墓監区事務所でもティッシュペーパーを準備してくださっているが、
マナーとして自分で準備しておいたほうがよいだろう。


準備しておいたほうが便利なもの

私自身が拝受したときには準備しておらず、
なくても拝受に支障はないが、あったほうが便利ではないかと思うもの。

1.ウェットティッシュ
手についた朱肉は落ちにくいので、
普通のティッシュよりウェットティッシュを持参したほうがよいかもしれない。

2.掃除用のブラシ
多摩陵墓監区事務所以外の事務所では練り朱肉を使っているため、
印面に朱肉や埃がつまっていることがあり、印影がぼやけてしまう。
きれいに押印したければ、
押印前に印鑑用のブラシ(あるいは毛先の柔らかい歯ブラシなど)や
柔らかい布で掃除したほうがいいだろう。

※R4.5.17.追記…上記はネット上の情報を参考にして書いたのだが、
実際に歯ブラシを使ってみると固まった印肉にはあまり役に立たなかった。
一方、爪楊枝は乱暴な使い方をせず、
固まった印肉を取り除くことだけに使えば印面を痛める心配はそれほどないと思われる。
扱いに慎重は要するが、爪楊枝とブラシを併用するのが効率的であろう。

3.捺印マット
一応、陵墓監区事務所でも準備されているが、
汚れなどが気になる場合は自分で準備しておくのがよいだろう。

4.朱肉
朱肉は陵墓監区事務所で準備されているが、必ずしも状態がいいとは限らない。
確実にきれいに押印したいのであれば、自前の朱肉を準備するのも一つの方法であろう。


御陵印のいただき方

応神天皇惠我藻伏崗陵

応神天皇恵我藻伏崗陵

まず御陵に参拝する。

御陵印は歴代天皇陵の参拝記念印であり、
本来は全国各地の御陵に参拝していただくものである。
現在は5つの陵墓監区事務所で保管されており、各御陵を参拝しなくてもいただくことができる。
しかし、各事務所は御陵の敷地内にあるので、
本来の趣旨を考えれば、まず事務所のある御陵に参拝してから拝受すべきである。

陵墓監区事務所を訪ね、窓口で御陵印を拝借したい旨伝える。

多摩陵墓監区事務所の場合、窓口で御陵印と朱肉を貸してくれるので、その場で押印する。
それ以外の陵墓監区事務所では、事務所の一角に机が準備されており、
係の人が御陵印と朱肉を持ってきてくれる。

(古今御朱印研究室より)

朝のお勤め
階段を降ります。 美味しく頂きました朝食 宿坊の玄関です。
7時02分最御崎寺を発ちます。
懐かしい郵便ポスト お世話になりました宿坊 馬頭観音
四國第廿四番霊場最御崎寺 遠くに足摺岬が見えます。
これからあそこまで歩くんですね。
一気に坂道を下ります。 海岸の町並みが見えて来ました。
室津港でしょうか。 一気に坂道を下ります。誰にも会いません。
だいぶ下りました。
7時20分国道55号線に出ました。 右に曲がって進むと、お遍路のシールがありました。
お遍路さんが下ってるのが見えます。 鯉のぼりとフラフ
高知に向かうバスですか。
先ほどお会いしたお遍路さん
乗れるといいですね。
昭和九年海嘯襲来地點 室戸岬小学校
小学校の脇を進みます。 奉寄進 室戸岬漁業協同組合 奉寄進 南極捕鯨船団一同
扁額「王子宮」 室戸岬郵便局 お遍路さんが追い抜いて行きます。
紀貫之朝臣泊舟之處 室戸岬港

室戸岬港(津呂港)

室戸は、土佐の国司、紀貫之が任満ちて京都へ帰る時、
天候悪く、十日ほど滞在したところである。
津呂港は、風や浪を待つ港として野中兼山が寛永十三年(一六三六)試掘、
寛文元年(一六六一)一月着工し三月竣工させた。
これに要した人夫は三十六万五千人、黄金千百九十両を要した重工事であった。
それ以前にも小笠原一学(最蔵坊)が元和四年(一六一八)願い出て開削している。
この工事は海中に土嚢で長い堤防を築き内部を池にして海水を汲み干した後、
ノミと鎚で岩を砕いて開削する工法で完成した港は、
東西百十米、南北七十二米、深さは満開時二米あった。
古くは室戸港といわれていた。

室戸市教育委員会



野中兼山(1615〜1663)


寛永8年(1631)から寛文3年(1663)までの約30年間、
土佐藩の要職に就いて藩政に力をふるった。
治水・利水・築港などに多くの業績を残しており、
有能な政治家であると同時に技術者でもある。

 地域開発や技術的側面から特に大きな成果をあげたのは、
手結港をはじめ津呂港、室津港といった港湾建設だ。
手結港は古くから港があったが、
太平洋の荒波で土佐湾沿岸では漂砂による港の維持が難しく、
兼山が藩政に力をふるっていた当時も、港の機能をほとんど失っていた。
兼山の築港は、古くからあった港の改修ということができる。
しかし、改修後も漂砂に悩まされ、
土佐藩では5年に一度の「港掘り(浚渫)制度」を設けて維持に努めてきた。



掘込港湾

手結港は、一般的には日本最古の掘込港湾といわれているが、
実際には岩礁海岸の窪地に石垣を築き、背後を埋立ててつくったものであり、
むしろ埋立港湾の部類に属するという説もある。
 ただ、築港には掘削をともなっており、ここでは掘込港湾と位置づける。



(21世紀に伝えたい港湾遺産 高知県手詰港より)


立派な造りの家です。 室戸岬港 地元の人ですね。
何処行きのバスでしょうか。 右のお遍路道を進みます。
お遍路道から国道55号線に出ます。
室戸市立室戸岬中学校 また、右のお遍路道を進みます。
国道55号線を逸れてお遍路道を進みます。 昭和九年海嘯襲来地點
前を歩くお遍路さん 小さなお子さんに会いました。 昭和風水害之碑
8時20分、津照寺はまだでしょうか。