第二期 三日目
平成22年4月30日

室戸岬   最高気温17.2℃  最低気温10.5℃  晴れ
      
(御厨人窟〜廿四番霊場)
廿四番霊場 室戸山 最御崎寺 明星院
                   むろとざん      ほつみさきじ       みょうじょういん

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室戸山 最御崎寺

真言宗豊山派

御本尊 虚空蔵菩薩

ノウボウ

アキャシャキャラバヤ

オン

アリキヤ

マリボリ

ソワカ

最御崎寺の御影 御詠歌

明星の

出でぬる方の

東寺

くらき迷いは

などかあらまし
御朱印 御影

 正しくは最御崎寺ですが、普通、東寺と呼ばれており、室戸岬の突端の山の上にあります。
 弘法大師が十九歳の時、仏法の迷いを払わんとして、
大和の国大峰山から高野山ヘ、更に阿波の太龍寺へ登りました。
命がけの難行苦行をされましたが、悟りを開くことができませんでした。
そして、次に来られたのが、この室戸だったのです。
果てしなく広がる太平洋の自然を前にして、雨の日も風の日も勤行を続け、ついに悟りを開かれたのでした。
「法性の室戸と言えど 我住めば 有為の波風 立たぬ日ぞなし」と詠まれたように、
東の空に光を放つ明星の暗示により悟りを開かれました。
そこで山の上にお寺を建てられましたのが、この廿四番東寺で、
御本尊の虚空蔵菩薩はお寺の創建と共に大師が刻まれたものです。





 最御崎寺と書いてほつみさきじと読みます。
どうやら、最御崎とは火つ岬(ほつみさき)という意味があるそうです。
火つとは、聖なる火を焚く古代信仰を意味するそうで、火つ+室戸岬+お寺ということで最御崎寺と呼ばれる。
あたしはてっきり、室戸岬の最先端にあるお寺という意味で最御崎寺と呼ばれるんだと思っていました。
                                                (御朱印の時間より)



                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   
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室戸阿南海岸国定公園
室戸岬灯台
ユースホステル
自転車通行不可
四國第廿四番霊場東寺最御崎寺登口
へんろ道 この坂道を上がります。
最御崎寺 本堂
六九五米
 四國第廿四番室戸山明星院
最御崎寺奥之院
空海が唐から持ち帰ったと伝えられる如意輪観世音菩薩が安置されていたが、
この菩薩像は現在最御崎寺に安置されており、
洞窟内には七観音が祀られている。 
 
四國第廿四番 明星院 最御崎寺 奥之院
一畑薬師瑠璃光如来
最御崎寺 本堂
六九五米
お遍路のシール
細い路地を歩きます。 階段になってきました。 くわず芋ですか。

くわず芋伝説とは?
その昔、川で芋を洗う老婆がいたそうな。
そこに腹ペコの弘法大師が通りがかり
「お腹が減ったので芋を一つくれないかい?」とお願いしたという。
すると、老婆は「これは食べられない芋だよ」と嘘をつき、弘法大師をあしらいました。
それ以来、その芋は本当に食べられなくなってしまったという。
そのことから、くわず芋と呼ばれるようになったそうです。

ちなみに現在、くわず芋は胃腸薬して利用されているそうです。
お大師さまは、鯖大師の伝説しかり、井戸水を塩水に変えたお杖の水伝説しかり、
お大師さまは断られるとよく仕返しをします。
        
(御朱印の時間より)

階段を進んで行きますと捻岩に
捻岩 弘法大師が念仏を唱えて祈念し、異変をおさめたと伝えられている。

かつて、女人禁制だった最御崎寺。
ある日、弘法大師が修行をしていると母・玉依御前が訪ねてきたそうな。
しかし、女人禁制を知ってか知らぬか、母は境内に足を踏み入れてしまいました。
すると突然、嵐が起こってしまったという。
そこで弘法大師は母を守るため、法力で岩をねじ曲げて洞窟をつくり、そこに避難させたんだと!
さらに、弘法大師は念仏を唱えて嵐を鎮めたたいう!
このことからもわかるように、先ほどの一夜建立の岩屋も法力でつくった洞窟だと思われます。

 (御朱印の時間より)

捻岩 更に階段を上がって行きます。
これが意外ときついんですね。
階段はまだまだ続きます。
突然海が現れて来ました。
今日も海は穏やかです。
建物が見えて来ました。      最御崎寺まで200mとあります。
未来のことは分からないが、過去が希望を与えてくれる
大師の面影 いまにみて 階段を更に上がります。
←国道55号線  室戸スカイライン→
←国道55号線               24番札所最御崎寺→
12時41分 山門に着きました。 扁額 「室戸山」

岩見重太郎 薄田隼人の塚


生没年・・・ 〜慶長二十年五月六日  (出生年月日は不詳)

豊臣秀吉に馬廻衆として仕えたと伝わる。
秀頼には三千石で仕えていた。
剣の道を極める為、諸国を武者修行の旅に
出たが、天橋立での仇討の助っ人をした話や
信州松本の吉田村で狒々退治をした話などが著名、
大阪冬の陣といわれる慶長十九年十一月には
大いに戦って有名をとどろかし、
さらに翌元和元年五月の夏の陣では、ついに
惜しくも戦死したと伝えられる。


説明板にゃ「天橋立で仇討の助っ人をした」とあるけんど、
以前、実際に見た事もある天橋立公園の「岩見重太郎 仇討ちの場」の碑に下記のようにある。

剣豪として名高い岩見重太郎が、
父の仇として広瀬軍蔵、鳴尾権三、大川佐衛門の三人の仇討ちをしたと伝えられている場所です。
岩見重太郎は、三人を追って丹後の宮津に来ましたが、
三人は重太郎を恐れて領主京極家に隠れていました。
そこで、京極家に乞うて仇討ちを許され、
1632年9月20日天橋立の濃松において三人を討ち倒し、
ついにその本望をとげたと伝えられています。
なお、岩見重太郎は薄田隼人と同一人とされ、豊臣家の家臣であったが、
大阪冬の陣では大いに戦って名をとどろかし、夏の陣で惜しくも戦死したといわれています。
この場所には、仇討ちの試し切りにしたといわれる石が現在も残っています。

【 参考・引用 】 
仇討ちの場 | 観光スポット - 天橋立観光協会: 
岩見重太郎 仇討ちの場 | 観光スポット - 天橋立観光協会:

blog 「南国土佐へ来てみいや」 より

弘法大師 山門
鐘楼堂
扁額「鐘楼堂」
十一面観世音菩薩
修行大師 虚空蔵菩薩
多宝塔 工事中の手水舎
御朱印の時間より
御本尊 虚空蔵菩薩    四国霊場 第二十四番最御崎寺
四国二十四番 納経所 四国霊場第二十四番最御崎寺 大師堂 虚空蔵菩薩
大師堂 一面薬師
一面薬師の御詠歌
出雲なる 一面薬師ましませば 心のきりも はらせたまえや
大師堂
虚空蔵菩薩 御本尊 虚空蔵菩薩 象が梁を支えています。
象の鼻が支えているようです。 柱や梁がだいぶ朽ちています。
ここは龍のようです。
だいぶ長い年月風雨にさらされてきたのでしょう。 お大師様
扁額「弘法」 仁王様 阿像 仁王様 吽像
仁王門
仁王門 第五管区海上保安本部

室戸岬灯台
この坂の下50m 灯台展望所この下
坂道を下ります。
室戸岬灯台


・左 → 朝日     ・右 → 夕日
夕日はだるま夕日になっています。
                                       (御朱印の時間より)


一等レンズ 太平洋の海面
室戸岬灯台から降りて行きます。
四国第廿四番霊場最御崎寺 お迎え大師
室津港でしょうか。 道を下って行きます。
最御崎寺 
へんろセンター 

100m先右折
馬頭観音菩薩
「天知る、地知る、己知る」
へんろ道
← →
25番札所へ 山頂へ
道を下ります。 ←室戸岬測候所
← 室戸岬測候所 気象庁
室戸岬特別地域気象観測所
敷地内立入禁止
見学したかったのですが無理のようです。 へんろセンターに向かいます。
鯉のぼりとフラフ
室戸岬最 御崎寺
へんろセンター
大和流 詠歌
最御崎寺支部
脇に逸れると護摩堂がありました。
護摩堂 聖天堂
歓喜天 聖天堂 この木々の端に
一言お願い地蔵がありました。
一言お願い地蔵 鐘つき堂
霊寶殿
西国三十三観音奉安所
第二十九番 青葉山 松尾寺
打鐘偈 読めませんでした。 鐘つき堂 
朱塗りの欄干が見えますので本堂でしょう。 多宝塔
本堂の脇を歩いて行きますと、団体さんの一行と会いました。
戻って、
宿坊・ユースホステルに入りました。

観音堂・こけし館
軽喫茶・売店コーナー
211 勢至 ハンガーがたくさんあります。
6畳の間に寛げる椅子まであります。 床の間に
洗った金剛杖を立て掛けました。
美味しそうな夕飯です。 四国第24番霊場
室戸山明星院 最御崎寺
御本尊 虚空蔵菩薩御詠歌
明星のい出ぬる方の東寺
暗きまよいは、などかあらまじ。