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5時30分 部屋から拝んだ朝日です。 |
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部屋を片付けてから朝食を頂きました。やはり3杯飯です。 |
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7時08分お世話になりました民宿徳増を発ちました。 |
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だいぶ陽が高くなって来ました。 |
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大きな鳥が飛んでいます。 夫婦岩が大きくなってきました。 |
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今日も海は穏やかです。 |
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夫婦岩がだいぶ大きくなってきました。 |
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55号線
高知まで97q
室戸まで19q
室戸市 |
薄雲が出て来ました。 |
私のお遍路姿の影です。 |
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24番 ↑ |
雲の模様が濃くなってきました。 |
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夫婦岩 |
ドライブイン 夫婦岩 |
道が右に曲がっています。 |
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これは何処になりますか。 |
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夫婦岩の険しい岩肌です。 |
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どうやって注連縄を張るんでしょう。 |
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朝日と夫婦岩 |
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仏様の下に文字が書いてありますが、磨耗していて読めません。 |
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夫婦岩を結ぶ注連縄 |
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岩肌がだいぶ浸食されています。 |
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見る度に注連縄をどうやって張ったのか不思議です。 |
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鹿岡の夫婦岩<夫婦岩の“竜燈伝説”(石碑より)
『南路志に云う 往古より大晦日の晩 夫婦岩の間鵜の碆に「竜燈」がともると
この神火を地元では「かじょうさま」 と云い 立岩の峯々を超えて大滝の上に舞上がり
四方山麓家々に請じ入れられて大年を迎える浄火となったと云う』
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よく見ると、岩の天辺に鳥が羽を休めています。 |
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← 夫婦岩
| 55号線
高知まで96q
室戸まで18q
室戸市 |
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紅い屋根は一際目立ちます。 |
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55号線
高知まで95q
室戸まで17q
室戸市 |
落ち着いた家並みが続きます。 |
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東部交通 のりば |
水準点 |
こんなに大きな岩
何処から来たのでしょうか。 |
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ひたすら国道55号線を南下します。 |
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巻雲 |
椎名 105 |
55号線
高知まで94q
室戸まで16q
室戸市 |
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民宿 椎名 |
国道55号線
室戸市
椎名 |
綺麗な巻雲が流れています。 |
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深海より蘇る神秘の湧昇流
海洋深層水マリンゴールド
(有)浅川自然食品工業 |
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護岸工事が続きます。 |
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椎名漁港 |
厳島神社 |
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国道55号線から遍路道に入ります。 |
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海沿いに立ち並ぶ家々 |
三津簡易郵便局 |
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室戸市立椎名小学校 |
鯉のぼりも一休みです。 |
国道55号線 |
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椎名漁港の紅い燈台 |
海は何処までも穏やかです。 |
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雲が増えて来たような気がします。 |
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元気なお遍路さんが追い抜いて行きます。 合掌 |
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波しぶきと青い空に白い巻雲 |
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珈琲館 甘露 |
椎名バス停 徳島バス 高速バス |
鯉のぼりが悠々と泳いでいます。 |
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照葉樹林が続きます。 |
遠くに船? ヘリコプターです。 |
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国道55号線
高知まで92q
室戸まで14q
室戸市<室戸市 | 高知 92q
室戸岬 9q |
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ハマヒルガオですか。 |
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国道55号線は海沿いに何処までも続きます。 |
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海を見ていても飽きないですね。 |
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また、海の顔は変わりました。 |
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55号線
高知まで91q
室戸まで13q
室戸市 |
二十四番 最御崎寺
10q →
二十三番 薬王寺
← 68q |
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アンテナ群が近付いた感じがします。 |
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釣り人 釣れているのかな。 |
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綺麗な花ですが、何でしょうか。 |
室戸阿南海岸国定公園 丸山海岸 |
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風車やアンテナ群が立っています。 |
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神社の鳥居です。 |
水準点 |
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扁額「日吉神社」 |
55号線
高知まで90q
室戸まで12q
室戸市 |
現在地は
徳島県庁より
123q
二十四番 最御崎寺
9q →
二十三番 薬王寺
← 69q |
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安芸広域市町村圏 特別養護老人ホーム 丸山長寿園 |
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室戸市立室戸東中学校 |
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室戸市立室戸東中学校 |
高知 室戸岬
↑
55号線
↑
→202号線 室戸市街
↑
400m |
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漁船が漁を終えて帰ってきました。 |
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高知県海洋深層水研究所
高知県海洋深層水研究所は、深い海の海水(深層水)を陸上に汲み上げて研究する施設です。
日本初、世界でもハワイ、ノルウェーに次いで3番目に設置されました。
室戸岬東海岸に設置された理由は、沖合の海底地形が急峻なため、
比較的短い距離で深い場所の海水を取ることができるからです。
研究所では、水深320メートルと344メートルから2本の取水管で汲み上げています。
深層水には、「低温性」、「富栄養性」、「清浄性」という三つの大きな特徴があります。
この特徴を生かして、水産分野では、深海性や冷水性の魚の養殖や、
栽培漁業のための親魚養成稚仔魚の飼育などの研究を行っています。
また、水産以外では、化学、工学、食品産業、医療などの様々な分野においても研究が行われています。
室戸市教育委員会
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海洋深層水研究所入口 |
四国のみち |
二十四番 最御崎寺
二十三番 薬王寺 |
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高知 室戸岬 |
ガソリンスタンド |
大先達は読めますが・・・ |
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高知 89q
室戸岬 6q |
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55号線
高知まで89q
室戸まで11q
室戸市 |
二十四番 最御崎寺
8q →
二十三番 薬王寺
← 70q |
国道55号線 |
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三津漁港 |
おへんろさん お休み処 |
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室戸市立三高小学校 |
遍路道を進みます。 |
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風車のプロペラが見えます。 |
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室戸岬町 高岡 |
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一際紅い屋根の家です。 |
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ダイワロイヤルホテルズ
大和リゾート 株式会社 室戸海洋深層水株式会社 |
室戸海洋深層水(株) |
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室戸マリンフーズ |
杉尾神社 |
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杉尾神社 階段 |
一、金五百円也 階段建設
昭和五年一月吉日
一、金八百円也 鳥居一組
一、金二百五十円也コマイヌ一組
昭和八年九月吉日 高岡青年會 |
マリンゴールド
(株)浅川自然食品工業 |
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高知県
海洋深層水栽培漁業センター |
↑ 24番 |
一つ一つビニルを被せてあります。 |
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何の作物でしょうか。 |
高岡漁業会前 |
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風や浪の対策をしてある家々が並んでいます。 |
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家の入口は開けてあります。 |
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入口以外は頑丈にコンクリートで覆われています。 |
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高岡漁港 |
一際と高い白い像が見えて来ました。 |
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海上保安庁臨時ヘリポート |
白い像が段々大きくなって来ました。 |
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55号線
高知まで85q
室戸まで7q
室戸市 |
高知東部交通
高岡第一
徳島バス
高速バス
高 岡 |
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大阪・なんばまで行っているんですね。 |
門の近くまで頑丈な石垣が取り囲んでいます。 |
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綺麗なお花ですが、名前が分かりません。 |
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ホテル明星・レストラン明星の前の停留所でバスを待つ二人連れ |
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室戸青年大師像 |
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室戸青年大師建立の由来
室戸阿南海岸国立公園室戸岬は、弘法大師が拾九才の青春時代、
これより百メートル先の御厨人窟(みくろど)において、嚴しい修行に耐え、
遂に宇宙の真理を感得した聖地として歴史上有名なところです。
「みくろど」は現在真言宗豊山派が護持顕彰する岬の海辺に面する洞窟ですが、
ここで若かりし頃のお大師さまは空と海を眺めながらの修行中、
海上遙か暁の空に輝く明けの明星が、不思議なことに、
お大師さまの体内深く吸い込まれるように近づいてきた瞬間、
大自覚の悟りを得たと伝えられています。
このたび弘法大師の御心を現代人に伝えるための生涯教育活動として、
[みくろど」に隣接する壱万坪有余を取得造成して、ここを明星來影の丘と定め、
日本唯一の総高二十一メートル(基壇を含む)に及ぶ室戸青年大師の巨像を建立し、
併せて布教々化に役立つ諸設備を施すことにより、
信仰と学習と観光を目ざす画期的な発想による新寺院の誕生となりました。
室戸青年大師建立勧募の栞
あなたが大師像の建立主
金額の多少にかかわらず、ご支納者は全て建立主です。
お大師像と共に永遠にあなたのご芳名が残るご浄行として、
ぜひともご建立にご参加下さい。
建立支納金 一口 金、壱万円也
支納方法 当山事務局にお申し出て下さい。
支納に関する必要な書類を差しあげます。
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室戸青年大師 |
参道入口 |
露座 仁王門 |
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仁王様 吽形 |
護摩堂 |
仁王様 阿形 |
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室戸青年大師像 |
金箔張り露座涅槃像 |
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誕 生 霊 端
弘法大師空海は、今から約1210年前の宝亀5年(西暦774年)6月15日に讃岐国多度郡屏風が浦(香川県善通寺市)でお生れになった。
お父さまは佐伯直田公、お母さまは玉依御前と言う貴族の出身であり、幼少の頃から非常に聡明で貴物と呼ばれ、人々から親しまれていた。
今で言う神童の誉が高かった。 |
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明 星 來 影
ここより100メートル先の海に面した岩の洞窟を御厨人洞と呼んでいるが、この岩屋の中で、弘法大師空海が十九才の青年時代に虚空蔵求聞持法と言うご真言を百万遍唱える大変苦し修行をされていた。
この時あの怖しい龍が現れて、色々と修行の邪魔をしたが、空海は不屈の精神力でこれを打ち拂い、遂に佛道の本当の姿を悟られた。
その瞬間海の彼方から突如として暁に輝く明星が飛んできて、空海の口の中に入った。
空海は口の中の明星を海に向って吐き出したところ、海底に沈んで今でも闇夜に金色を放っているとの伝説が語りつがれている。
この室戸青年大師建立の地を明星來影の丘と定め、寺の名を明星來影寺と称しているようにこの寺とお大師さまとの結びつきは大変深いものがある。 |
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金 剛 定 額
弘法大師空海は、ここ室戸青年大師像より約8キロ離れた山上の勝地に金剛頂寺(26番札所)を建立してお住まいになっておられた。
ところが毎夜のように天狗などの魔物が現れてはお大師さまの修行を妨害するので、お大師さまは天狗どもと問答をし、佛法の尊さを教えると共に、私の前に決して現れてはいけないと申し渡し、ご自分の肖像画を安置したところ、それ以来魔物どもは退散して、現れなくなったと伝えられている。 |
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密 教 相 承
唐(中国)の都長安にあった青龍寺で、その当時最高の名僧とあがめられていた恵果阿闍梨から、真言宗の秘法や佛具を授けられた場面が画かれている。
真言密教の正統を継いだのは、日本から來た無名の一青年僧空海であった。 |
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室戸青年大師 |
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綜 芸 種 智 院 の 設 立
お大師さまの在世中には、貴族のための学校はあっても、一般庶民のための学校がなかったので、多くの人々は文字を書くことも読むことも出來なかった。
お大師さまは誰れでも入学し、勉強出來るようにと(教育の機会均等)、天長5年(西暦828年)12月15日京都に綜芸種智院という学校を建て、誰れでも入学が出來るし、学費は全て無料で学問を教えた。これが吾が国における私立学校の始まりである。 |
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心 経 講 賛
嵯峨天皇の弘仁9年(西暦818年)時代に、日本国中に大変悪い疫病が流行したので、天皇自ら般若心経というお経の写経をなされ、お大師さまに対して、多くの人々にこのお経の意味を説くように命ぜられた。
そこでお大師さまは般若心経秘鍵という本を著し、般若心経の有難い教えを説いた。
この功徳により疫病がおさまり、多くの人々が安心して生活するようになった喜びの姿を描いている。 |
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万 濃 池 の 改 修
四国の香川県にある満濃池は、昔からお百姓さん達にとって、大切な貯水池であった。
毎年のように堤がこわれ、修理がはかどらないので、弘仁12年(西暦821年)5月27日嵯峨天皇の命により
お大師さまはお弟子四人を連れて大堤防を修築された。
誰れが考えても三年間の日時を要する大工事であったが、大勢の地元の人々の協力を得て、わずか三ヵ月で完成した。
その工法は科学の発達した昭和の今日でも、ダムの作り方の原理にかなった驚くべき技術であると言われている。
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室戸青年大師像
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胎内めぐり入口 |
阿字観道場 |
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胎蔵界曼荼羅の中央部 |
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阿字観道場 |
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阿字観道場 |
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阿字観道場 |
太平洋 |
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室戸青年大師像
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室戸岬 |
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金箔張り露座涅槃像 |
七福神 |
恵比須(蛭子) |
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大黒天 |
福禄寿 |
弁財天 |
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布袋 |
毘沙門天 |
寿老人 |
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わが国最初
金箔張り露座涅槃像
今から約二、五00年前の二月十五日、お釈迦さまが
八十才の生涯を閉じられたのは、中部印度の
クシナガラの町はづれにある沙羅双樹の林の中で
お弟子の阿難がただ一人つき添う中を、北を枕にして
静かにこの世を去られたと伝えられている。
日本の家庭では北枕で寝ることを禁じているのは
このためで、涅槃像はその時のありさまを再現したものである。
長い説法の旅を続けられたお釈迦さまは、途中鍛冶工の子
チュンダの差出した飲食物によって、激しい腹痛にみまわれ、
死ぬような苦しみに耐えながら、懐しいふる里のルンビニー村を
遠くに眺めつつ、クシナガラの町まで辿りついたが、
此処が最後の地となってしまった。
最早一歩も前進することが出来ず、
余命いくばくもないことをお悟りになったお釈迦さまは、
臨終の訪れを知ったのである。
死の直前苦しい声をふりしぼって、弟子の阿難に最後の説法をなされた有名な言葉を、
みなさんに解り易く現代語で伝えたい。
「もろもろの出来事は過ぎ去るものである。
人間は誰でも努力して修行に励みなさい。」
室戸青年大師参拝で結ばれた同行二人の心ある人々にとって、
お釈迦さまの最後の説法は、より良き人生指針として、
いつまでも消えることはないであろう。
合掌
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室戸青年大師像と金箔張り露座涅槃像
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よさこいお馬塚由来記
土佐の高知の播磨屋橋で
坊さんカンザシ買うを見た
全国的に有名なよさこい節は三十六才の中年僧純信と十六才の
鋳掛屋の娘お馬との二十才の年令差を越えた悲恋民謡である
安政二年の出来事であった、然し二人は結ばれることなく
お馬は近くに住む大工職の寺崎米之助と結婚し二男二女の母となり、
一家は高知の須崎町糺町五十二番地に住んでいたという、
その後、子供達は職を求めて東京に移り住み長男徳太郎は腕の達者な大工として
次男虎松(澁谷姓と改名)は役場の戸籍係として奉職し
東京府北豊島郡王子村大字豊島字築地(現在の東京都北区豊島二丁目)に
兄弟隣り合はせで住んでいた、
長女布美次女菊の消息については東京に居たというだけで詳しいことは知られていない、
明治十八年八月十六日お馬夫婦は長男徳太郎を頼って上京を決意し
浪速丸と言う名の船に乗って高知港を出帆したが、
途中室戸岬の海上で四苦八苦の苦しみを味いつつ暫くにして三日がかりで東京に着いた
米之助五十五才お馬四十八才の時である、
米之助は明治三十一年一月三日に没し、お馬は明治三十六年十二月十五日に波乱に富んだ六十六才の生涯を閉じた、
共に私の自坊である東京都北区豊島二丁目西福寺墓地に埋葬されている、
このたび私が建立発願主となって室戸青年大師明星來影寺を創建するに当り、
思い出深い懐しの土佐の国にお馬の墓を分骨建立し百年振りにお馬のお里帰りとなった
仍ってよさこいお馬塚と銘し永くその菩提を弔うものである
昭和六十年十一月十五日
宗教法人 室戸青年大師 明星來影寺當主
大僧正 小松原賢譽
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「圓頓妙樂信女」 |
奉納 仁王像一対
宗教法人 小松原学園 共栄会
学校法人 小松原学園 建設業者一同
株式会社 日本交通
昭和六十年 夏 |
日本唯一 室戸青年大師 入口 |
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