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5時過ぎに起き、朝ご飯を美味しく頂きました。 |
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宿の方に頂いたお遍路グッズです。 |
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6時過ぎに旅館民宿浜吉屋を発ちました。 |
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土佐東街道に出ました。 |
二十七番札所 神峯寺 → 4q
旅館 民宿 浜吉屋 右折50m→
神峯神社4q
神峯寺4q |
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唐の浜東バス待合所
従是 神峯寺 四・0粁
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民宿ドライブイン27 |
土佐東街道 国道55号線 |
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森澤病院 唐浜駅 → |
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土佐くろしお鉄道の下を通り抜けます。 |
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国道55号線から右に逸れて、遍路道を進みます。 |
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左 神峯寺 |
明神バス停 四国のみち |
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鳥居 |
山の緑が濃くなってきています。 |
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ここより安芸市です。 |
私と違って速いですね。 |
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美味しそうな枇杷ですね。 |
ようこそ安芸市へ
安芸市出身 三菱グループの創始者
岩崎弥太郎 |
鉄道に繋がっています。 |
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これより12.5q
津波浸水想定区域
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甲浦行きのバスです。 |
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名村川橋 |
下山駅→ |
津波避難ビル
下山駅130m → |
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私と違って他のお遍路さんは歩くのが速いですね。 |
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大山岬 |
道の駅
大山 600m ↑ |
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土佐湾 |
道の駅 大山 |
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伊尾木漁港
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平成18年に、「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」に認定されました。
河野の郷士久保家によって開発された港で、
江戸時代の終わり漁港整備にと内港の開削を進め、石組の防波の建設に取りかかったが、
藩の財政難から工事は中断。
明治以降にも何度か開発が試された後、放置され、河野池として残った。
新田開発や各地の港湾整備など、
様々な土木事業を手がけた野中兼山にちなんで「兼山のあほう堀」とも言われているが、
この漁港の工事が行われたのは兼山の死後。
昭和50年代に発掘調査が行われ、当時の石積堤の一部が泊地の中に保存されている。
安芸市商工観光水産課より
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遍路道を歩きます。 |
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昔はもっと荒れた所だったことでしょう。 |
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くろしお鉄道の橋脚が連なっています。 |
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土佐湾 |
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海沿いを歩きます。 |
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綺麗な巻雲(Ci)です。 |
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くろしお鉄道 |
土佐湾 |
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お遍路さんへ
→国道へ300米 |
くろしお鉄道の踏切です。 |
お遍路マーク |
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ローソン |
〒 安芸伊尾木郵便局 |
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伊尾木川 |
川の水は綺麗です。 |
バスはどこ行きでしょうか。 |
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くろしお鉄道の下を通ります。 |
大型車 |
交差点 |
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安芸川 安芸川橋 217m |
あきはし |
安芸川 |
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安芸川 |
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土佐維新歴史文化道 岩崎弥太郎 (生家) 4.5q → |
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遍路道は、国道55号線から分かれて進みます。 |
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おはら理美容室 |
何の建物でしょうか。
武者絵が飾られています。 |
遍路道を進みます。 |
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綺麗なお花が飾られています。 |
松田歯科 |
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畠山ガラス店 |
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東浜八幡宮 |
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安芸市立安芸第一小学校 |
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ここの地盤(鋲の位置)は
標高約11.8mです
安芸市・安芸土木
↓NPO地域の安全を図る会 |
←歩きへんろ道 |
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〒 安芸本町郵便局 |
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元気バスのりば 井ノ口通り |
芋 六代目百合 |
鯉のぼりとフラフ |
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遍路道を進みます。 |
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ここの道路高(地盤高)は、
標高約9.0mです
5〜9mもっと高いところへ逃げるのよ
安芸市 |
←歩きへんろ道 |
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歩きへんろ道 |
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安芸漁業協同組合 |
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安芸漁港 |
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マークに従って遍路道を進みます。 |
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安芸漁港を出て遍路道を進みます。 |
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穏やかな土佐湾です。 |
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波除けのシェルターが出て来ました。 |
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雪除けのシェルターは東北地方で見ましたが、波除けのは初めて見ました。 |
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しかし、穏やかな土佐湾です。 |
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← 安芸へ 2.2q 八流へ 2.2q → |
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新城浜休息所
こちらの住所は 穴内字ナメラです。 |
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くろしお鉄道の列車が入って来ました。 乗り降りするお客さんは見かけません。 |
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しかし他のお遍路さんは歩くのが速いです。 |
安芸市・穴内
赤野休息所↑2.8q 海水健康プール芸西↑6.3q |
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鯉のぼり |
←琴ヶ浜へ5.7q 安芸へ2.8q→ |
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操作要領板 閉める時 開ける時 |
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ひたすら防潮堤に沿って歩きます。 |
チャボがいました。 |
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もう一羽いましたが、逃げません。 |
くろしお鉄道の下を通って進みます。 |
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穴内川橋 |
この高さの防潮堤で津波が防げるのかな。 |
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どこまでも海は穏やかです。 |
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白い筋は飛行機雲でしょう。 |
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恵美須神社 |
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蘇鉄の実をいただいて持って帰り、
実を土に植えたら芽が出ました。 |
安芸市・矢流
住吉海岸・住吉漁港 海水健康プール芸西
↑8.9q ↑5.1q |
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平成22年10月11日 |
平成23年7月12日 |
平成23年7月12日 |
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令和4年11月29日 |
令和4年11月29日 |
令和4年11月29日 |
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蘇鉄は世話がかかりません。
2〜3年に一度植え替えるだけで肥料はやっていません。
水は雨だけです。
植えてもう十年以上になりますが、元気よく育っています。 |
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土佐湾 |
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長年、海風に耐えている樹木にはどことなく風格があります。 |
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自転車で四国八十八個所を巡っているようです。 |
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四国三十六不動霊場第十五番
真言宗 八流山 極楽寺 |
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内陣 |
本堂 |
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どことなくユーモラスなお地蔵さんです。 |
石の祠の中はよく分かりません。 |
極楽寺供養塔 |
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本堂 |
綺麗な花です。 |
真言宗 八流山 極楽寺 |
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レストラン 矢流で美味しいお昼をいただきました。 令和4年4月1日に閉店したようです。 |
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農道がお遍路道になっているようです。 |
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地元の学生さんでしょうか。 |
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四国のみち |
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自転車道
赤野休憩所 |
香南市 芸西村 |
現在地 |
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くろしお鉄道の線路です。 |
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列車がやって来ました。 |
線路に沿った遍路道を歩きます。 |
鯉のぼりとフラフ |
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二級河川
あかの川
高知県 |
くろしお鉄道の高架下をくぐります。 |
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色鮮やかなジャーマンアイリス |
またまたお遍路さんに追い抜かれました。 |
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手結へ6.7q 八流へ3.0q |
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異常気象時
通行規制区間
この先0.9q(芸西村琴ヶ浜)までの
区間は下記の場合通行止めにすることがあります
1、波高が5mに達した時
2、風速が10m/sに達した時
3、パトロールにより危険と思われる時等 |
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岬の先に建物が見えます。 |
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またまたお遍路さんに抜かれました。 |
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立て看板が出て来ました。 |
異常気象時
通行規制区間 |
八流へ至る4.2q |
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高知安芸
自転車道路
高知←→安芸 |
これより自転車道
村道併用区間
通行注意
ここは
海抜9.7m |
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海水健康
プール芸西 |
お龍君枝姉妹像 |
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幕末から維新・土佐の人物の像 |
お龍、君枝の銅像の言葉
坂本龍馬の妻お龍と、海援隊士菅野覚兵衛の妻
君枝(起美)の姉妹の像が建った由緒について記す。
お龍は京都の医師檜崎将作の長女であり、菅野覚
兵衛(千屋寅之助)は現芸西村和食の庄屋の出で、
その妻君枝は将作の三女である。すなわちお龍の
実妹であった。
お龍は龍馬を失ったあと、明治元年から一年余
り、妹の嫁ぎ先千屋家に身を寄せた。この琴ヶ浜に
お龍と君枝の像を建てて追善し、併せて義兄弟の
龍馬と覚兵衛の二人を記念したいという、芸西村
の人たちの温かい気持が実ってこの姉妹の像と
なった。
お龍は伏見寺田屋で龍馬の危難を救い、亀山社
中、海援隊と奔走する龍馬を助け、時代に先がけ
た新しい女性としての夫のために献身した。龍馬は
お龍の妹君枝を気づかい、菅野覚兵衛とめあわせ
ることを望んでいた。龍馬の没後の慶応四年、覚
兵衛と君枝は長崎で結婚した。十六歳の花嫁で
あった。
お龍の墓は横須賀市の信楽寺に、君枝の墓は東
京都港区南麻布の光淋寺にある。松籟と潮騒の響
く景勝の琴ヶ浜に、数奇な運命の姉妹の魂が相寄っ
て立つ光景は、多くの人々に深い感銘を与える
ことであろう。
平成五年三月吉日
山田一彦
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穏やかな土佐湾の海 |
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琴ヶ浜遊歩道 ぐるっと1周 約15分 |
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日本の白砂青松100選
琴ヶ浜の松原(由来)
かつて、太平洋の海水と和食川とが対面して約1キロにわたる自然の砂丘を形成させた。
この砂丘全体にわたって松の老木や若木が数多くあり、高知市以東では最も古く野中兼
山の時代から守られてきた潮害防備保安林である。人家や施設園芸地帯を潮害から守り、
また、太平洋からの突風を防ぐ等、その役割は、はかりしれないものがある。また、林
内外にサイクリングロードも整備され、憩の場所としても脚光を浴びている。東西に約
6キロメートルに及ぶ松林の松は数万本あるともいわれており、美しい海浜と共に、波
打ち際に打ち寄せた波が引いてゆくとき、砂がころがり海水の中に妙なる音が聴こえる
ことや、砂丘の形状がふくれたる琴の胴にもみえることから、古き頃より琴ヶ浜と呼ば
れ人々に親しまれてきた。※野中兼山 江戸前期の政治家・儒学者 土佐藩の家老
平成19年5月 芸西村教育委員会
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西芸村・堀切
手結海水浴場↑5.3q サイクリングターミナル↑4.4q |
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お遍路道をシールに従って進むだけです。 |
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またまたお遍路さんに抜かれました。 和食川水門 |
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くろしお鉄道の高架に沿って歩きます。 |
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高架下をくぐります。 |
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くろしお鉄道の高架下をくぐって、行ったり来たりしています。 |
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国道55号線を歩きます。 |
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大日寺へ2K↑ |
国道55号線 高知 26q 南国15q |
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←100m 西分漁港 |
コンビニ |
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へんろ道 |
新しく歩道をつくっています |
今夜泊まる宿の住吉荘です。 |
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14時51分宿に着きました。 |
今夜泊まる宿のお部屋です。 |
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廊下です。 まだ誰もいません。 |
美味しそうな夕食です。 |
港の紅い灯台が見えます。 |
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色紙 生きてるだけで丸もうけ! |
達筆なので判読出来ません。 |
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外から見た住吉荘です。 |
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