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19時過ぎ、雨が降る中バスで大宮駅に行きました。
19時41分発の京浜東北線で東京へ向かいました。 |
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20時28分東京駅に着き、八重洲口に向かいました。
まだ雨は降っていました。 |
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21時10分発JR夜行バスで徳島・阿南へ出発しました。
この頃、阿南市は120mm/hの凄まじい豪雨でしたが、
バスが着く頃には雨も止んでいることだと思っていました。 |
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菅笠は網棚に載らないので紐で下げました。
23時40分足柄サービスエリアでは、雨は強く降ってました。 |
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6時 淡路島の室津サービスエリアでは雨も上がり、雲一つない晴天でした。 |
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7時10分 見覚えのある徳島駅前に着きました。 |
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7時33分 小松島の停留所を通りました。 |
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昨晩豪雨だった痕が残っていました。
8時7分予定よりも早く阿南駅に着きました。 |
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阿南駅前で朝食を済ませました。
鶴林寺をお参りした後の切符を買っておきました。
8時30分駅前のタクシーに乗りました。 |
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9時10分 3月27日以来の鶴林寺の山門に着きました。 |
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山門には、仁王様の隣に鶴が阿吽の形でおりました。 |
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昨夜の雨で洗われた境内は緑が一段と映えてました。 |
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石楠花の桃色の花が鮮やかでした。 |
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お寺の方が境内をきれいに掃き清めていました。 |
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鶴林寺の丁石
南北朝時代に建立されたもので、現在11基残っています。
丁石には年号が刻されており、本県では最古の丁石であるとともに、
昔の鶴林寺への参道を知る資料としても貴重なものです。
昭和33年11月25日県指定
鶴林寺三重塔
三重塔は、江戸末期に再建されたもので、各層はその様式がことなり、
和様、唐様の手法が見られます。
塔は江戸末期における代表的建築物であり、
藩政時代に建って残っている県内ただ一棟の三重塔です。
昭和27年6月25日県指定
四国のみち 環境省 徳島県
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不動明王 |
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内陣 |
本堂への長い石段 |
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地蔵尊 |
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地蔵菩薩 |
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鶴林寺三重塔(県指定文化財、江戸時代 文政十年1827、銅板葺、高さ23m) |
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二層部、軒は二軒繋垂木
高欄は組高欄 |
三層部、軒は扇垂木、
高欄は逆蓮柱の禅宗様 |
初層組物 |
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三層部高欄の
逆蓮柱(ぎゃくれんばしら)
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初層、四隅で軒を支える邪鬼
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初層、三手先組物
軒は二軒繋垂木
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三層部高欄の
逆蓮柱(ぎゃくれんばしら) |
扁額
不空成就如来
無量壽如来
大日如来
阿閦如来
寶生如来
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屋根は銅板葺で軒先が鋭角状で反っている。 |
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本堂を守る雌雄の鶴 |
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石段を下りて行きます。 |
鶴林寺大師寶前 |
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弘法大師 |
鶴の垂れ幕 |
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桓武天皇御勅願所 |
本堂正面 |
別格本山鶴林寺 |
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鶴の図柄の御朱印
これを押して頂く為に出直しました。
左側に亀さんの図柄を
第39番霊場赤亀山円光寺で頂きます。 |
→
21番札所
太龍寺へ
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山門 |
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四国第二十番霊場 |
扁額「霊鷲山」 |
別格本山鶴林寺 |
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10時51分阿南駅に着きました。 |
11時35分海部行きがあります。 |
次は2時間後です。 |
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阿南→海部 ¥1.060 |
単線なんですね。 |
ワンマン 11:35 海部 |
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阿 南 |
ホームを繋ぐ連絡通路 |
飛行機雲 |
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SHIKOKU |
11:35列車が入って来ました。 |
駅を出ると田圃です。 |
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一面水が張られています。 |
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こちらの田圃は田植えが終わっています。 |
辺川 |
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特急列車「むろと」 |
牟岐 |
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13時08分 海部駅に着きました。 |
みなでのらんけ
阿佐海岸鉄道
開通記念之碑 |
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