七日目
平成22年3月27日
                      
徳島   最高気温 13.8℃  最低気温 1.5℃  晴れ後曇り
      
カウンター

(金子や〜廿番霊場)
廿番霊場 霊鷲山 鶴林寺 宝珠院
                 りょうじゅざん     かくりんじ       ほうじゅいん

秩父・最上・西国・坂東札所巡りへ

霊鷲山 鶴林寺

高野山真言宗

御本尊  地蔵菩薩

オン
カカカビ
サンマエイ
ソワカ

御詠歌

繁りつる

鶴の林を

しるべにて

大師ぞ居ます

地蔵帝釈
御朱印 御影
            
    昔、弘法大師が来錫された時、二羽の白鶴が地蔵菩薩を守護しながら舞いおりるのを見て、
    地蔵菩薩を刻み、堂塔を建立したところから、鶴林寺と呼ばれるようになったものです。
     また、山の形が印度の霊山、鷲峰山に似ているところから霊鷲山と号されるようになりました。
    延暦十七年(798)、桓武天皇の勅願により弘法大師が開創されたお寺です。
    源頼朝以来、幕府の信仰篤く、阿波の殿様、蜂須賀侯も山林を寄進しています。
    阿波の札所のほとんどは、戦国時代、長宗我部の乱により焼けておりますが、鶴林寺は幸い難をまぬがれました。
    本堂、三重塔など昔の姿のまま残っております。

6時21分もうすぐで日の出ですが、雲一つない快晴でした。 
朝食はいつも通り三杯のご飯をいただきました。
寝具を片付けて部屋を出るとき、ハンガーかけが部屋の二箇所にあることに気付きました。
相部屋になることがあるんですね。
玄関の鏡で撮してみました。
7時11分お世話になりました金子やさんを発ちました。
朝日が眩しかったです。
7時14分 鶴林寺への入り口を出発しました。
約3q(H30m)の道のりです。
民家の間の通りを進みました。
みなさん私を追い抜いて行きました。
昔の遍路石がいくつも並んでました。
左は里道、中は鶴林寺道、右は観正寺道とありました。
杖が何本もあり自由に使えるようになっていました。ありがたいことです。
7時25分あと2.6qとありました。
そろそろ道の勾配が急になってきました。またまた抜かれました。
勝浦川沿いの町並みが一望にできる地点まで上がってきました。
7時32分 あと2.3q地点まで来ました。
ここにも杖がありました。
鶴林寺へのへんろ道の遍路石がありましたが、年代は分かりませんでした。
今日もいいお天気です。
だんだん道幅が狭くなってきました。
7時37分 鶴林寺まで2.1qの地点に来ました。
いよいよ本格的な上り坂に来ました。
7時44分 ゆっくり上り始めました。
                  流れている水が飲めるようになってました。
7時52分 水呑大師でお灯明を上げました。
あと1600mありました。H180mまで上ってきました。
お大師様が彫られている遍路石でした。
8時1分 あと1300mとなりました。
8時2分十二丁、8時5分十一丁
8時5分 鶴林寺まで1200m
8時13分 十丁 自動車道路に出ました。
8時23分 鶴林寺へ900m
8時27分 九丁
8時35分 鶴林寺へ600m
8時35分 七丁   二本の杖を上手に突いて上って行きました。
8時42分 鶴林寺まで400m
8時45分 四丁  8時49分 鶴林寺へ200m
駐車場に着きました。
8時54分 二丁  山門に着きました。 ちょうど1時間40分かかりました。
四国第二十番霊場 別格本山鶴林寺
二王様と霊鷲山の扁額
二王様の脇に鶴がいました。苔に覆われた参道を進みました。
参道の脇にお地蔵様が祀られており、丁石の説明書きがありました。 
大師堂に大勢のお遍路の方々がお参りしていました。
桓武天皇御勅願寺です。  
平城天皇、嵯峨天皇、淳和天皇と歴代天皇の帰依が篤かったお寺さんです。
また、源頼朝や義経、三好長治、蜂須賀家政などの武将にも深く信仰されて、
七堂伽藍の修築や寺領の寄進をうけるなど大きく栄えました。
ここで若い夫婦から教えられました。
「白衣(笈摺)の背の右に鶴の御朱印を、左に卅九番 赤亀山 延光寺で亀の御朱印を押していただく」と
今は新しい白衣を持っていなかったので、後日改めてお参りしようと思いました。
石段を上がって本堂へ向かいました。
天正の兵火を免れていたので本堂はとても古い建物のように思われました。
三重塔
弘法大師修行像  不動明王像  三重塔宝輪
二十一番 太龍寺へ
9時47分 山門へ帰る参道の脇に太龍寺への遍路道がありました。
あやうく見逃すところでした。