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6時30分食堂で朝食をいただきました。
ここには菅直人さんの写真と色紙がありました。
現在は、内閣総理大臣となりました。(6月9日) |
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7時23分 雨具を付けてなべいわ荘を発ちました。 |
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私の前を二人連れが歩いてましたが、そのうち見えなくなってしまいました。 |
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7時41分 登山口に入り、先に歩いていた人に付いて上っていたら元の登山口に戻ってしまいました。 |
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7時58分 また上り始めました。右と左に分かれた道を右に行って間違えてしまいました。
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今度は左の道を行くと、へんろ道の標識がありましたので安心しました。 |
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8時34分 山道が終わり、自動車道路に出ました。 |
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8時36分 玉が峠に着きました。 |
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たくさんの石仏が並んでいました。 弥勒菩薩 |
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石仏の反対側には家がありましたが、どなたもいらっしゃらないようでした。 |
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軒先を拝借して荷物を降ろし一休みしました。 |
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どことなく微笑んでいるような顔立ちの仏様たちは、百年も二百年も峠を通るお遍路さんを見てきたことでしょう。 |
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8時55分 玉ヶ峠を発ちました。 あとは峠から下る道を歩くだけでしたが、雨は相変わらず降り続いてました。 |
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梅の先に民家が見えてきました。 |
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9時過ぎ 雨雲の切れ間から山々がのぞいてました。 |
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山水画を見ているようでした。 |
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幻想的な光景に出会いました。 |
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だんだんと歩いている道の高度は下がってきました。 |
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9時19分 神山遍路小屋がありました。 先に休まれた方がいたようでした。 |
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地元の方々のご協力で新しい小屋が造られました。有り難いことです。ここで荷物を降ろして休みました。 |
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お手洗いもありました。 |
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9時45分 だいぶ雲が切れてきました。雨が上がるといいのですが。 |
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9時50分 お遍路マークが薄れてました。 |
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おへんろさんへとハッサクがおいてありました。 |
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下に河が見えてきました。これからあそこまで下りていくわけです。 |
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10時5分 番外霊場鏡石大師に着きました。 |
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山道を下りていくと小さな祠がああり、お大師様がいらっしゃいました。 |
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祠の傍にひときわ大きな樹が聳え立ってました。 |
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この石が鏡石と呼ばれていたのでしょうか。
弘法大師が厄年に当地方御巡錫の折り、この地に休息され傍らの石を撫でられたところ、
なんの変哲もなかった石が不思議に輝きだして人の顔が映るようになったといいます。
それから「鏡石」と呼ばれるようになりました。
明治の初年まで良く映りましたが、少しの曇りを惜しんで砥ぎ屋に依頼して砥ぎましたが、
それからは元の輝きを失ってしまいました。
人々は弘法大師の石像を祀って御霊跡として崇めるようになったといわれてます。
10時13分自動車道路に戻り、鏡石大師を発ちました。 |
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だいぶ山から下りてきました。 |
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10時33分 自動車用の標識が出てきました。 |
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10時36分 県道20号、31号の交差点に来ました。
ここで軒下に長椅子がありましたので一休みしました。 |
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10時55分 紅いシールを頼りに右に曲がりました。 |
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小さな橋の向こうには山々が連なってました。 |
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鮎喰川に架けられている福原橋を渡りました。 |
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きれいな水が流れている川なので鮎がたくさん泳いでいるようでした。 |
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11時 道端に黄色いラッパ水仙が見事に咲いてました。 |
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11時10分 なだらかではありますが、上り坂にさしかかりました。 |
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11時15分 駒坂峠に来ました。 |
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雨に打たれながらも咲き出した櫻の花がいじらしかったです。 |
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11時23分 流れが急な川に板が渡されてました。 |
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どうもこういう処は苦手なんですが、渡るしかありませんでした。 |
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11時41分今度は大きな橋が見えてきました。 |
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須賀橋は渡らず県道20号線を東進しました。 |
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11時51分 神山町広野分団第五部消防の車庫前で荷物を下ろして休みました。 |
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梅の花でしょうか。ひときわピンクの色も鮮やかに雨の中に咲いてました。 |
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川の流れも緩やかになり、渕の色も濃い藍色となってました。 |
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12時25分 広野郵便局に来ました。ここからはもう平坦な自動車道路をひたすら歩きました。 |
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紅い歩きお遍路と緑色の歩きお遍路のシールが貼ってあり、その先には昔の右二里のへんろ石がありました。 |
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12時50分 広野バス停のベンチで休憩しました。 |
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13時8分 右は建治寺遍路道保全道へ行きますが、
予定よりも遅いことと雨なので無理をせず左の21号線の自動車道路を選びました。 |
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真っ赤な椿の花が見事でした。 |
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13時58分 大久のバス停を過ぎ、14時16分建治寺への新道の入り口に来ました。 |
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14時30分 「四国十三番奥の院建治瀧(修験根本道場)役行者小角の開創による古刹」建治寺への参道 |
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石仏がまとめられていました。 その中に聖コ太子千三百年の石碑がありました。 |
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14時37分大日寺へ2qの地点に来ました。
この調子で行けば納経時間(17時)までに辿り着きそうで安心しました。 |
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なにやら風変わりなプロペラのようなものが見えてきました。 おやすみなし亭とありました。 |
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中にはいるとポットからミカン、美味しい水までありました。 |
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この亭(休憩所)は地元の方々のご協力で作られました。 |
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ここの風力発電が新聞に載っていました。 |
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美味しいミカンとお水がケースに入ってました。 |
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よく見るとテーブルの上にノートが置かれてました。 |
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納め札がノートに貼れるように糊もありました。
私も納め札を貼って一言書いてきました。
14時58分休憩所を発ちました。 |
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15時23分 「四國第十三番霊場 一の宮 大日寺」にようやっと辿り着きました。
朝、なべいわ荘を出てから雨の中約8時間歩きました。よく歩いたものです。 |
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本堂をお参りしてから大師堂へ向かいました。 |
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本堂の向かい側に子安地蔵尊が祀られてました。 |
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大正三年 南無大師遍照金剛の銘がありました。
雨が激しく降る中大師堂をお参りしました。 |
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境内には、しあわせ観音、倶利伽羅龍王、七福神が祀られてました。 |
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池の中央には小さな祠があり、鯉が悠々と泳いでました。 |
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大日寺の真向かいには阿波國一宮神社が有り、お参りしました。 |
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境内には本殿に向かって左右に馬が納められてました。 |
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これまでの札所や霊場廻りで見てきた神社やお寺さんに納められていた馬は、一頭だけでした。
ここでは二頭なんですね。 |
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以前は大日寺がこの一宮神社の別当寺として管理してました。 |
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大日寺や一宮神社のすぐ近くに今晩泊る名西旅館「花」がありました。
結局今日のお昼は食べずじまいでしたので夕食が待ち遠しかったです。
三杯飯を食べました。
ここの女将さんには色々とお世話になりました。
ありがとうございました。 |
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