関東三十六不動霊場
第廿七番霊場 成田山川越別院 本行院
川越不動

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平成廿三年八月十一日

東京大手町    最高気温  37.8℃   最低気温   26.9℃ 晴れ

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成田山川越別院 本行院

川越成田山 川越不動

御本尊 不動明王

虚空護(こくうご)童子

真言宗智山派

御詠歌

一心に

願いをかくる

不動尊

わが身の罪を

すすぐ川越

御朱印 御影 虚空護(こくうご)童子


限定御朱印
毎月21日と28日に限定御朱印が登場します。
3枚の御朱印は ちくブロより




成田山川越別院の縁起
成田山川越別院は、嘉永6年(1853)廃寺となっていた本行院を成田山新勝寺の別院として再興したのが始まりといわれています。
関東三十六不動27番不動、小江戸川越七福神の恵比寿天です。

成田山川越別院は、川越別院成田山本行院と称し、いつの頃からか「久保町のお不動様」とも呼ばれるようになった。
本尊は不動明王で、内外の諸難や汚れを焼き払い、人々を守るといわれ、願をかける時などに奉納する絵馬のため、境内には絵馬堂も建立されている。
当寺は、江戸時代も末の嘉永6年(1853)、ペリーが黒船を率いて浦賀に来航した年に下総の国新宿(現葛飾区新宿)の石川照温が、廃寺となっていた本行院を成田山新勝寺の別院として再興したのが始まりといわれている。
石川照温については、次のような話が伝えられている。
農家に生まれた石川照温は、三十歳の頃に目が見えなくなってしまった。
光明を亡くした照温は、ある日のこと自ら命を絶とうとしたが、その時不思議なことに光を失った眼前に不動明王が見えたので、にわかに仏道に目覚め、それまでの生活を改めるとともに、有名な成田山新勝寺のお不動様を熱心に信仰するようになった。
そのかいあってか、失明した目もいつか昔のように見えるようになったので、いよいよ仏道に励み、当地に寺を建立し、多勢の信者から慕われるようになったとのことである。
なお、照温の碑が、近くの中院墓地に建てられている。(川越市掲示より)


6時22分 バスがやってきました。 6時50分発の川越行きまで15分もあります。 次は日進駅です。
6時50分発車します。 7時16分川越駅に着きました。 降りる人が意外と多いですね。
川越駅前です。 7時27分川越運動公園行きに乗ります。 7時38分喜多院で降りました。
広小路商栄会 喜多院 うなぎ いちのや
成田山山門 鐘楼 不動明王
開山堂 眼病平癒
           祈願絵馬
 視力回復  

 不動明王の大慈悲と両眼の失明という重病から回復された石川照温師の徳にあやかり、眼病平癒・視力回復を祈願いたします。

絵馬に名前を書き開山堂にお掛け下さい。

開山堂

 成田山川越別院本行院は江戸時代末期に石川照温師によって開創されました。
 師は幼い頃から波乱に富んだ生活を送る中、両眼を失明しました。
絶望の末に三度も自殺を図ったが果たされず、
これは神仏が未だ自分をお見捨てにならないからだと信じ、
千葉県の成田山新勝寺に於いて断食の苦行に入りました。
 この修行で見えなかった両眼が少しずつ見えるようになり、
遂に満願の頃には全く平癒することが出来たのであります。
そのため不動明王の大慈悲に心から感激した師は
一生を不動明王に捧げようと新勝寺で出家得度しました。
 その後不動明王の御霊徳を世に広めるために諸国巡礼の旅に出ると、
各地で師の徳を慕い集まってくる人が増えました。
 そこで地元の有力者が、師にここ川越の地に安住していただこうと、
廃寺になっていた本行院を再興しました。
そして嘉永六年に成田山貫首照輪上人が
御本尊不動明王の御分霊を照温師に授与せられました。
これが成田山川越別院本行院の起源となり現在に至ります。


福 壽 殿 大黒天  ゑびす天 
 
小江戸川越七福神

成田山
(真言宗) 久保町九―二
第四番    ゑびす天
恵比寿様は「福の神」の代表で、
農村では、田の神、街では市神、
福利を招く神として、鯛を抱いた
福々しい相好でなじみ深く、人々
から深い信仰が寄せられています。

秋の七草  撫 子 なでしこ
なでしこが花見る毎にをとめらが
ゑまひのにほひ思ほゆるかも
                万葉集巻十八
河原撫子は河原辺に生える
かれんな花の意味で、美しい
淡紅色の花を開かせます。
花言葉―貞節
小江戸川越七福神霊場会
(社)小江戸川越観光協会

   
     
正一位  出世稲荷大明神          吒枳尼天
出世稲荷大明神  大師堂  絵馬掛け所
大師堂 ご自由に開けてお参り下さい。
お堂の中に入りました。      南無大師 遍照金剛
理源大師 弘法大師 興教大師
弘法大師ご尊像
ご奉安のお勧め
当山では、皆様にご奉納いただいた
御尊像に、それぞれお名前を浄書し、
永代に渉り弘法大師のご加護に浴せら
れますよう祈念いたします。 合掌

御尊像は大師堂内に奉安し、
毎朝永代にわたり貴家の繁
栄を祈願いたします。

※毎月21日には、御影供を
行っております。
成田山額堂大改築 本行院 照齊代


本山からの護摩木
成田山 一心講

    成田山川越別院

             所在地 川越市久保町
 成田山川越別院は、川越別院成田山本行院と称し、いつの頃からか「久保町のお不動様」とも呼ばれるようになった。
 本尊は不動明王で、内外の諸難や汚れを焼き払い、人々を守るといわれ、願をかける時などに奉納する絵馬のため、境内には絵馬堂も建立されている。
 当寺は、江戸時代も末の嘉永六年(1853)、ペリーが黒船を率いて浦賀に来航した年に、下総の国新宿(現葛飾区)の石川照温が、廃寺となっていた本行院を成田山新勝寺の別院として再興したのが始まりといわれている。石川照温については、次のような話が伝えられている。
 農家に生まれた石川照温は、三十歳の頃に目が見えなくなってしまった。光明を失くした照温は、ある日のこと自ら命を絶とうとしたが、その時不思議なことに光を失った眼前に不動明王が見えたので、にわかに仏道に目覚め、それまでの生活を改めるとともに、有名な成田山新勝寺のお不動様を熱心に信仰するようになった。
 そのかいあってか、失明した目もいつか昔のように見えるようになったので、いよいよ仏道に励み、当地に寺を建立し、多勢の信者から慕われるようになったとのことである。
なお、照温の碑が、近くの中院墓地に建てられている。

    昭和五十七年三月
                  川越市
本 堂 手 水
本行院
成田山 御本尊 不動明王
不動明王 降三世明王  金剛夜叉明王

梵名はvajrayakṣa(ヴァジュラヤクシャ)であり、ヴァジュラとは金剛杵という武器を意味する。ヴァジュラはインドにおける雷を放つ神の武器であり、金剛夜叉明王は「雷=どのような障害をも貫く聖なる力を持つ神」という意味である。
金剛夜叉明王は、人を襲っては喰らう恐るべき魔神(夜叉)であり人々の畏怖の対象であったが、後に大日如来の威徳によって善に目覚め、仏教の守護神五大明王の一角を占める仏となった。
仏教に帰依した金剛夜叉明王は悪人だけを喰らうようになったと言われ、ここから「敵や悪を喰らい尽くして善を護る、聖なる力の神」という解釈が一般的となり、故に日本においても古くから敵を打ち破る「戦勝祈願の仏」として広く武人たちに信仰された。
金剛夜叉明王は三面六臂の姿で、何よりも正面の顔は眼が5つもある特徴ある相をしている。六本の手には名前の由来である金剛杵や弓矢や長剣、金剛鈴等を把持して構えている姿が一般的である。


降三世はサンスクリット語で、トライローキヤ・ヴィジャヤ(三界の勝利者 Trailokyavijaya)といい、正確には「三千世界の支配者シヴァを倒した勝利者」の意味。
経典によっては、そのまま、孫婆明王(そんばみょうおう)とも、後期密教の十忿怒尊ではシュンバ・ラージャ (Śumbharāja)とも呼ばれる。 その成立は、古代インド神話に登場するシュンバ (Śumbha)、ニシュンバ (Niśumbha) という密教の確立とともに仏教に包括された仏尊である。
同体とされる勝三世明王は、降三世と起源を同じくするものの、「一面二臂タイプのトライローキャヴィジャヤ」として近年インドでも出土しており、ヴァジュラ・フーンカーラ菩薩 (Vajrahūṃkāra) とも言われる。

シヴァは妻のパールヴァティーと共に「過去・現在・未来の三つの世界を収める神」としてヒンドゥー教の最高神として崇拝されていたが、大日如来はヒンドゥー教世界を救うためにシヴァの改宗を求めるべく、配下の降三世明王を派遣し(或いは大日如来自らが降三世明王に変化して直接出向いたとも伝えられる)、頑強難化のシヴァとパールヴァティーを遂に超力によって降伏し、仏教へと改宗させた。降三世明王の名はすなわち「三つの世界を収めたシヴァを下した明王」という意味なのである。
降三世明王は右の絵の通り四面八臂の姿をしており、二本の手で印象的な「降三世印」を結び、残りの手は弓矢や矛などの武器を構える勇壮な姿であるが、何より両足で地に倒れた大自在天(シヴァ)と妻烏摩妃(パールヴァティー)を踏みつけているのが最大の特徴である。
誰かを踏みつけた仏と言えば四天王がそれぞれ邪鬼を踏みつけているが、降三世明王は「異教とはいえ神を倒して踏みつけている」という点でひと際異彩を放つ仏である。


祈祷殿 不動明王
本堂 小江戸川越七福神御宝印所
関東三十六不動霊場 納経所
護摩受付所
百度石  宝剣
倶利伽羅剣      弘法大師
境内 本堂 交通安全祈祷所
山門 大本山 成田山 川越別院
不動明王と童子 制多迦童子  矜羯羅童子 矜羯羅童子
制多迦童子(せいたかどうじ)、 みまもり不動 矜羯羅童子(こんがらどうじ)