関東三十六不動霊場
第廿六番霊場 五智山 遍昭院 總持寺
西新井大師 山門
 

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平成廿三年八月十日

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五智山 遍昭院 總持寺

西新井大師

金剛護(こんごうご)童子

真言宗豊山派

御詠歌

おもいたつ

心ひとつを

ともとして

大師のみあと

おがみそめぬる
御朱印 御影 金剛護(こんごうご)童子


御朱印とは本来、お寺への御参詣の折、写経(般若心経など)を納めた証しとして
納経帳に頂戴するものです。
御朱印を集めるときにはご本尊様への読経またはお参りを欠かさないようお願い申し上げます。


当山の主となる御朱印です。
「奉拝」にかかる判は「仏法僧」
「弘法」にかかる本尊種字は当山のもうお一人の御本尊十一面観音様です。
また関東八十八か所霊場と東国花の寺百か寺の御朱印もこちらが元となります。



当山では、不動堂にお不動様をお祀りしており、
関東三十六不動霊場廿六番札所になっております。
不動霊場をお廻りの方にはこちらの御朱印をお授けいたします。



西新井大師総持寺の縁起

西新井大師総持寺は、826年弘法大師が創建したと伝えられ、
本堂の西側に加持水の井戸があったことから
当地周辺が西新井と呼ばれるようになったといいます。
慶安元年(1648)寺領25石の御朱印状を拝領、
近郷に数多くの末寺・門徒寺を擁する中本寺格の寺院だったといいます。

新編武蔵風土記稿による西新井大師総持寺の縁起

(西新井村)總持寺 
新義真言宗、山城國醍醐報恩院末、
寺領二十五石慶安元年九月十七日御朱印を賜へり、五智山遍照院と號す、
當寺は弘法大師の草創にして、大師自作の像を本尊とす、
これを厄除大師と稱し、
世の人の信仰する者多し、殊に毎年二月二十九日参詣の者群集すと云、
されど此寺もと千住五丁目の裏にありしが、後今の地に移せりと云傳ふれば、
大師草創せしは此地にはあらず、有徳院殿此邊御遊獵の時、
元文二年正月十一日當寺へ成らせられしより、
當御代に至りても此邊御放鷹の時は御膳所ともなれりと云。
仁王門。
樓上に五智如来を安ず。
護摩堂、攝待所、奉納所、御朱印蔵、鐘樓。
元禄十四年千住町淺香彦右衛門・同太郎兵衛と云者の寄進せし鐘をかく。
加持水ノ井。
弘法大師の加持水に用ひし井なれば、この名ありと云。
蓮池。
凡三十坪ばかりの池なり、貞享元年慈海と云僧の誌せし縁起に、昔堂宇焼失の時、
本尊祝融をさけて此池上に出現せし故、
今は大師御手洗ノ池と唱ふる由載たるは、此池のことなるにや。
東照宮御宮。
天神。
善女龍王・稲荷の三坐を合祀せり。
御嶽社。
この社の邊に影向の松と呼べる松木あり。(新編武蔵風土記稿より)


「足立区史」による西新井大師総持寺の縁起

西新井の起り
一千余年前、嵯峨天皇の頃東国に悪疫が流行して人々難儀を極めていた。
丁度全国行脚中の大師が、天長三年たまたまこの地に到来し、
連日の旅の疲れで松の根本に腰を下して休んでいる時、
突然十一面観音が現れ、大師の危難と諸民の病災を告げたので、
大師は合掌礼拝して我にかえると、直ちに観音の示現に従い、
沐浴斎戒して、十一面観音像を刻み、またその余り木で自像を刻んだ。
数日間尽夜の別なく護摩祈祷した後、
自他の災厄一切を自像に負わせて井中に沈めた(一説には土中に埋めたという)ところ、
大師の危難は勿論悪病一切この地を去ったので、村民は喜び、
後、この大師の像を引上げて現在の御影堂に安置した。
先に大師は十一面観音を本尊として一宇を建立した。
これが厄除大師五智山遍照院総持寺であるが、
この堂の西に大師の像を沈めた井戸があったので、西新井という地名がついたという。
また一説には土中に埋められた大師像を掘出した跡から
清水が湧き出て現在の井戸となったといい、
これが今の加持水井である。
何れにしても本堂の西側にその井戸があったので
西新井の地名が起きたのだという。(「足立区史」)




10時16分 西新井駅に着きました。 西新井大師 總持寺
大師前駅 この先がお寺さんへの入り口のようです。 西新井大師 總持寺
草が生い茂っています。
通りの左に中田屋が、右には清水屋が向かい合っています。

中田屋
お大師だんご中田屋

清水屋の草だんご

草だんご

包装紙を取りました。

ふたを開けました。
(ウォルタビより)

山 門

山門は寺院内に入る総門で三門とも書く。
この建物は、江戸後期の建立、
素木造、楼上に五智如来を阿安置し
両脇に寺門安護の金剛力士像をまつる。
      
    
 西新井大師  総持寺
山門をくぐります。
だいぶ傷んだ仁王像です。


修復後の仁王像

修復後の仁王像

改修工事前の山門


西新井大師総持寺山門保存修理工事

西新井大師総持寺山門は、建具金物裏面の陰刻より天保四年(推定)に建立された総欅造の楼門で、
足立区指定有形文化財である。
今回の保存修理工事では『文化財価値の継承』に加え、
機能性の向上および耐震性能の向上といった『社会的価値の向上』に取り組んだ。



文化財価値の継承

曳家直前の建物状況
曳家工事のサンドルとレール 

修理方法は曳家を行った後に、上層を揚屋しつつ、下層の柱の劣化部分を交換する半解体修理とし、
地域に慣れ親しまれている歴史ある建物外観を変えることなく保存することを目指した。
移転先に先行して杭・RC基礎を新設してから建物をジャッキアップし、所定の位置に曳家していった。


機能性の向上

改修前は山門が道路に直面して配置しており、門前商店街との間にゆとりもない状況だったが、
大勢の参拝客を迎え入れる寺院の門構えとして整備するべく、
建物配置を境内側に6m移動して門前広場を設け、地域交流の活性化を図るとともに、
混雑時の参拝者の通行の安全も確保することができた。


耐震性能の向上

耐震補強では、外観を変えず、既存部材を傷つけない構法として、
鉄骨フレームを建物内に新設して耐震性能を付加する方法を採用した。



建物の自重は伝統木造本来の仕組で支え、
これに独立した鉄骨フレームを内蔵させて地震時の水平力に抵抗させている。
鉄骨フレームの上層には水平構面を設け、主要な木梁と接合して二つの構造物を水平方向につないでいる。
木材は乾燥収縮や経年での仕口のゆるみなどから、地震などとは関係なく鉛直方向に挙動するため、
木梁と鉄骨フレームとの接合は、
上下の移動は許容し水平には拘束するディテールを検討した。



仁王像を避けた背面のデットスペースに鉄骨柱を設置することで、
外観を変えることなく補強することが可能となった。
また、建物配置を移動することにより、
強固な杭や基礎を新設できたことも耐震性の向上に大きくつながっている。


木梁と鉄骨との接合部

改修後 2階内観


改修工事後の山門
                                       (清水建設より)