関東三十六不動霊場
関東三十六不動霊場
第廿五番霊場 皿沼山 永昌院
皿沼不動尊

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平成廿三年八月十日

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皿沼山 永昌院

皿沼不動尊

僧守護(そうしゅご)童子

天台宗


御詠歌

武蔵野の

無情の流れ

荒川の

心の宿の

皿沼不動

御朱印 御影 僧守護(そうしゅご)童子


皿沼不動永昌院の縁起
皿沼不動永昌院は、修験道中尾玉林院賢義の法弟明善が、慶応三年(1867)に創建したといいます。

聖護院末 東京府管轄武蔵国足立郡皿沼村 皿沼不動永昌院。
慶応三年11月、創立開祖明善
第初世住職明善、47歳。
埼玉県管轄武蔵国足立郡中尾村修験玉林院賢義法弟、慶応二年2月於同坊得度、慶応三年11月住職。
以上修験一人。家族一人。
檀家63軒(足立区風土記資料寺院明細より)


荒川の北東に位置する皿沼の辺りは江戸時代は幕府直轄で舎人領と呼ばれていましたが、寛永二年(1625)東叡山寛永寺が創建された折、皿沼の一帯が寺領として寛永寺に寄進されると同時に、多くの寺院がこの辺りに次々と創建されました。
永昌院のはじまりも丁度その様な時期でした。
当時は阿弥陀仏の念仏講を中心に発展していましたが、巷に成田不動の信仰がひろがった時期には講社を組んで成田山に詣で御前立不動明王を誓願したと伝えられています。
明治になり、時の住持、晋ト和尚が不動尊の祈願を願って寺格の再興を図りました。
晋ト和尚は後に天台宗寺門派に属して、二世令信和尚の代に千年の歴史と格式を誇る円満院門跡の寺中寺院となり今日に至っております。
令信和尚はこの間、阿弥陀堂を再建し、併せて円満院より秘仏の地蔵尊の分霊を迎えるなど、諸霊安養の供養を日々営んで来ました。
近年、現在の永昌院三世「信央和尚」により、三心殿(現在の本堂)が竣工されましたが、この時、一代祈願を発して日本で最大級の不動明王像が勧請されました。
欅材一本彫りのこの像は仏師宗護・基栄父子が渾身ののみを奮ったもので、六尺に余るお姿の偉容と、火焔を背にした恐ろしい忿怒の相で、信者の迷いや欲望、災難の種を焼きつくす有難いお不動様として日々、仏さまの教えを私達に説き続けています。
今日、毎日の勤行には願いごとや、心の迷いを抱えた善男善女が参詣し、紫煙の絶えることがありません。
                                      (皿沼不動永昌院ホームページより)


8時40分 日暮里駅を発ちます。 荒川に架かる橋です。 首都高
9時17分舎人ライナーの谷在家駅で降り、
歩いて皿沼二丁目バス停まで来ました。
街路樹がこれから植えられるようです。 9時28分 風邪ふうじ観音

関東三十六不動霊場
第二十五番札所
僧守護童子

皿沼山
皿沼不動
永昌寺


円満院門跡寺中寺院 三界萬霊供養塔

明治弐年(1869)縁起
どろぼう塚
円満院門跡寺中寺院 さて、どこから入るのでしょうか。
階段を上がって入りました。
本尊は、成田山新勝寺から拝領した御前立の不動尊です。

現在は、仏師宗護・基栄の父子が彫った
日本最大欅材の一本彫御前立不動尊の胎内に収められています。


両脇には童子が仕えています。
中国の若手最高峰の画家と賞される侯小平が、約三年半の年月を費やして
中国漢方の札花画126点を制作し、献納したもの。



天輪女王


宇宙守護。
機械・器具・道具の安全守護、
会社の繁栄、社員の安全などの
ご利益があるそうです。


大黒様 暑いから稔る
萬燈祭 不動明王

皿沼不動尊
永昌院

関東三十六不動霊場
第二十五番札所であることを証する

唱和六十二年二月二十七日
関東三十六不動霊場会


かぜふうじ 曼荼羅 大きな鼻の天狗さん

制吒迦童子(せいたかどうじ)


天狗と不動明王

 
矜羯羅童子(こんがらどうじ)


明治丁酉三月
成 田 山
西新井僧正平常識書
師子頭     
      風邪封じ極(五句)意
  一、雨・風を身体で受けて鍛えよう。
  二、夏は焼き冬は薄着に慣れましょう。
  三、よく動きよく働いてよく眠る。
  四、食べ物の言っていけない好き嫌い。
  五、大声で腹を抱えて大笑い。
               皿沼不動永昌院


梵鐘 平成不動尊鐘 僧守護童子
関東三十六不動霊場
第二十五番札所
僧守護童子

皿沼山
皿沼不動
永昌寺

皿沼山 風邪ふうじ観音
皿沼不動永昌院 本堂全景 9時59分バスがやってきました。
お寺さんでいただいた団扇です。 10時16分 西新井大師に着きました。