第十四番霊場 神霊山 金乗院 慈眼寺 目白不動尊 師子光童子
第十四番霊場 神霊山 金乗院 慈眼寺
目白不動尊

アクセスカウンター

平成廿三年七月廿四日


24日 東京大手町    最高気温  30.3℃   最低気温   22.7℃ 曇り時々晴

秩父・最上・西国・坂東札所・お遍路へ 関東三十六不動霊場toppageへ



神霊山 金乗院 慈眼寺

目白不動尊

師子光(ししこう)童子

真言宗 豊山派

御詠歌

うつし世の

まことの道を

たずぬれば

しるしまみえん

宿坂の里

御朱印 御影 師子光(ししこう)童子


お寺の縁起

金乗院は、天正年間(1573-92)に開山永順が本尊の聖観世音菩薩を勧請して観音堂を築いたのが創建とされます。
第二次世界大戦で焼失した目白不動堂(東豊山浄滝院新長谷寺)を合寺しています。


新編武蔵風土記稿による金乗院の縁起
(下高田村)金乗院
新義真言宗多磨郡中野村寶仙寺末、神靈山観音院と號す。
本尊正観音長一寸八分眦首羯摩作開山永順文禄三年六月四日寂。
御嶽社、辨天社、三峯社。
観音堂。
荒神を合殿とす。
観音は木の立像長三尺運慶の作と云。
鐘楼。
寶暦八年鑄造の鐘をかく。                     (新編武蔵風土記稿より)


豊島区教育委員会掲示による金乗院の縁起

金乗院は真言宗豊山派の寺院で、開山永順が本尊の聖観世音菩薩を勧請して観音堂を築いたのが草創とされています。
永順の没年は文禄3年(1594)6月であることから、それより以前、天正年間(1573-92)の創建と考えられます。
当所は蓮花山金乗院と称し、中野宝仙寺の末寺でしたが、のちに神霊山金乗院慈眼寺と改め、護国寺の末寺となりました。
江戸時代には近辺の此花咲耶姫社などの別当でしたが、昭和20年4月の戦災で本堂等の建物や、水戸光圀の手になるという此花咲耶姫の額などの宝物は焼失しました。
現在の本堂は昭和46年に再建され、平成15年に全面改修されました。
目白不動堂(東豊山浄滝院新長谷寺)は、元和4年(1618)大和長谷寺代世小池坊秀算が中興し、関口駒井町(文京区)にありましたが、昭和20年5月の戦災により焼失したため、金乗院に合併し、本尊の目白不動明王像を移しました。
目白不動明王は、江戸守護の江戸五色不動(青・黄・赤・白・黒)の随一として名高く、目白の号は寛永年間(1624-44)に三代将軍徳川家光の命によるといわれています。
墓地には槍術の達人丸はし忠弥、青柳文庫を創設した青柳文蔵などの墓があり、境内には寛文6年(1666)造立の倶利伽羅不動庚申塔をはじめ、寛政12年(1800)造立の鍔塚など多くの石造物があります。                  (豊島区教育委員会掲示より)

 “目白不動尊”は今でも秘仏として扱われている。
ご本尊の開帳は、その昔50年に一度だった。
近年では1、5、9月の28日の3日間だけ開帳されている。

「目白不動」の歴史は、弘法大師・空海が奥州の羽黒山に籠ったときから始まっている。
遣唐使から戻った空海の前に、不動明王に姿を変えた「大日如来」が現れ、持っていた剣で自分の肘を切ると、その肘から浄火が燃え上り、おごそかな仏の形になった。

空海はそれを二体の像に刻み、その一体が時を経て、武蔵国・関口に渡り着き、その不動明王像を祀るお堂が建立された。
それが「目白不動」の始まりだとされているが、その年代は不明のままで、現在にいたっている。

ご利益は、家内安全、病気平癒だが、特に自分の身体を切ってまで人々にご利益を与える「目白不動尊」は、霊験あらたかなお寺として、江戸の人々から熱い信仰を集めていた。
現在、その規模は小さくなってはいるが、“人生100年”ともいわれる“煩悩”多き現代人にとっても、霊験あらたかなる「目白不動尊」の存在意義は大きい。 (東京観光ガイドより)



                                                                                               
駒込駅で
山手線の電車に乗り 大塚駅で降りました。  都電荒川線は北口・南口どちらでもいいようです。
都電大塚駅前は駅舎があるんですね。 早稲田方面 都電大塚駅前
都電荒川線沿線案内  大塚駅前から早稲田まで  大塚駅前から王子駅前を通って 
王子駅前から熊野前  熊野前から三ノ輪橋まで  銀座4丁目を走る抜ける都電1100形
昭和42年頃撮影
函館市電除雪車両(ササラ電車)実車 都電6086号実車 都バスの元祖「円太郎バス」
都電三ノ輪橋行き 都電早稲田行き
都電早稲田行き 面影橋停留所
新目白通り ←みなもと17.1キロ  すみだがわ7.5キロ→ 面影橋の由来 
おもかげばし 面影橋 神田川
クリーンエネルギー
太陽光・風力発電システム
 
山吹之里
「山吹の里」の碑  
氷川神社 
高田町 鎮守 氷川神社 府内二十九番 豊島四十一番
弘 法 大 師
名作怪談乳房榎
ゆかりの地
名作怪談乳房榎 
ゆかりの地
南蔵院案内  境内
南蔵院  江戸時代の高田村  高田村 南蔵院 鶯宿梅 
南蔵院 鶯宿梅  高田 南蔵院 鶯宿梅 氷川社 右𣘺  奥州𣘺 
門  真言宗豊山派 南藏院 目白不動金乗院
目白不動金乗院 目指す 目白不動 金乗院はここですね。 目白不動 金乗院
山門です。 扁額「神霊山」 目白不動 金乗院 
御府内 第三十八番 弘法大師 不動明王 左手が欠けています。 宿 坂 道 

江戸第拾六番 本尊十一面観世音
山之手第九番 長谷寺
くずし字で「はせ寺」と詠むらしい

地蔵菩薩座像
下の台の三面に渡って正徳2(1712)から
宝暦8(1758)にかけて
7名の戒名が刻まれている。
両側面の5名は童子、
正面の2名は居士と大姉。
この時代に居士、大姉というのは
相当な家柄ということだろうか。
(豊島区高田の石仏より)


扁額「神霊山」
宿坂関旧址 金乗院 観音堂  金乗院   観音     宿坂  享保六辛丑 目白 九月十四日
水子地蔵 南無遍昭金剛 土州足摺山
江戸八十八箇所之内
第三十八番目
      四國霊場   弘法大師
      五十四番
江戸三十三観音霊場
第十四番霊場
弘法大師 関東三十六不動霊場
納経所
目白不動尊参道 六地蔵

目白不動堂



目白不動尊
 ↑

               一般的な不動明王は、右手に剣、左手に羂索(けんじゃく)という縄を持っていますが、
               この不動明王は左手がなく炎が噴き出しています。
               この不動明王は「断臂不動/だんぴふどう」と呼ばれていて、人々を救うために明王自ら左腕を断ち切り
               そこから火焔が噴き出しているという珍しいお不動様です。
               お寺の方が、特別に強い力を持つ不動明王だと仰っていました。        (ぶらり寺社めぐりより)

お地蔵様 お地蔵様 墓地に上がる階段
寛文八年五月  庚申講一座二世安楽 寛文十年十月  奉供養地蔵菩薩 三十八番 弘法大師

地蔵菩薩立像 寛文10年(1670)
上品な佇まいの地蔵像。
舟形の光背上部に梵字。
光背右には「奉供養地蔵二世安樂所」
足の両脇に施主と思われる名前を刻む。

(豊島区高田の石仏より)

青面金剛は三面六臂。
右手に法輪、左手にショケラか。後上の手に戟と独鈷杵?
下の手は弓矢。
右脇に「奉待念庚申講一座二世安楽所」左脇に年号。
庚申塔 寛文8年(1668)唐破風付角柱 日月雲 青面金剛立像。下部に三猿を彫る。

(豊島区高田の石仏より)

三猿は椅子に腰掛けているようで面白い。
(豊島区高田の石仏より)
階段を上がります。 丸橋忠弥の墓
丸橋忠弥の墓 尭雲院忠德道盛居士
まるばし‐ちゅうや【丸橋忠弥】
[?~1651]江戸前期の浪人。出羽の人という。
宝蔵院流の槍術にすぐれ、江戸に道場を開く。
由井正雪と共謀して慶安の変を企てたが、事前に発覚して処刑された。
歌舞伎狂言「樟紀流花見幕張 (くすのきりゅうはなみのまくばり)」の通称。(gooより)

丸橋 忠弥(まるばし ちゅうや、? - 慶安4年8月10日(1651年9月24日))は、江戸時代前期の武士(浪人)。
慶安の変で江戸幕府の転覆を図った。

生涯
出自に関しては諸説あり、
長宗我部盛親の側室の子として生まれ、母の姓である丸橋を名乗ったとする説、
上野国出身とする説(『望遠雑録』)、
出羽国出身とする説など定かではない。
なお、河竹黙阿弥の歌舞伎『樟紀流花見幕張』(慶安太平記)では、
本名は「長宗我部盛澄」(ちょうそかべ もりずみ)と設定されている。

友人の世話で、江戸・御茶ノ水に宝蔵院流槍術の道場を開く。
その後、由井正雪と出会い、その片腕として正雪の幕府転覆計画に加担する。
しかし、一味に加わっていた奥村八左衛門が密告したため幕府に計画が露見。
そのため捕縛され、鈴ヶ森の刑場で磔にされて処刑された最初の罪人となった。

辞世の歌は「雲水の ゆくへも西の そらなれや 願ふかひある 道しるべせよ」。
墓所は、東京都豊島区高田の金乗院、品川区妙蓮寺。

一説に新選組隊士で御陵衛士でもある篠原泰之進は、忠弥の血筋だという。  (Wikipediaより)

日本における図書館の始祖
青柳文蔵の墓
青桺文蔵墓

青柳 文蔵
(あおやぎ ぶんぞう、宝暦11年(1761年) - 天保10年3月14日(4月27日))は、
仙台藩領磐井郡東山町(現在の岩手県一関市東山町松川)出身の江戸時代後期の商人。
医師・小野寺三達の三男として生まれる。
名は茂明、号は東里、近水楼主人。
青柳文庫の名前の由来となった人物である。
彼は清和源氏佐竹氏あるいは武田氏の後裔と称し、兄2人、姉3人の末子であった。
父は私塾もやっていたので幼いころから和漢の書物に触れる機会を持っていた。
18歳で江戸に出て、苦労しながら学問を続け、井上金峨に儒学を学んだ。
その後、公事師として財をなすに至った。


青柳文庫
1831年(天保2年)、仙台藩に書籍2,885部、9,937冊、また100両を贈り、
藩はこれを公開図書館として一般に供することとなり、これが日本の最初の公開図書館となる。
仙台市青葉区一番町にその碑がある。


青柳倉
また彼は郷里、松川に籾4,000石を収納できる蔵を建設、これは青柳倉と呼ばれ、
その後まもなくの天保の大飢饉に際しては、人々を飢餓から救ったという。
その場所に「青柳倉記」という碑が立てられている。
           彼の墓所は、東京都豊島区高田の金乗院にある。        (Wikipediaより)

文化七年庚午仲冬 梵字 読めません。 雲照
元禄壬申年 講中
奉待念庚申一座
十一月初七日
階段を降ります。 本堂
九曜紋 扁額「神霊山」 内陣 御本尊「十一面観世音」
     
中央にご本尊様をお祀りした厨子が安置してあります。
ご本尊の聖観世音菩薩は絶対秘仏で、御開帳の機会はないそうです。
その厨子の隣には、奈良県にある豊山派総本山の長谷寺のご本尊十一面観音像を模刻した十一面観音像が安置されていました。
(お江戸見聞録より)

  
 
宝筐印塔
   倶利伽羅不動庚申

 人間を罪過から守る青面金剛の化身、
 三猿は天の神に人間の犯す罪を伝えない
 様子をあらわしている。

 1666年に建てられた、剣に龍が巻き付いた
 珍
しい石像です。
庚申塔 寛文6(1666)不動明王の剣、倶利伽羅剣に巻き付く倶利伽羅明王を 主尊とする珍しい庚申塔。
(豊島区高田の石仏より)

剣の柄の下のあたりに三猿が彫られていた。素朴だがとても可愛い。   (豊島区高田の石仏より)

弘法大師像 鐔塚
金乗院案内  茶や  料理や  本堂 
高田  ワせ田  本堂 
宿坂関旧址
      金乗院    
観音堂
丸橋忠弥 二代 市川左団次  本堂
金乗院を出て宿坂を下って上がります。 都電荒川線 学習院下停留所 学習院中等科
学習院高等科 学習院大學 10時49分 目白駅に着きました。