関東三十六不動霊場
関東三十六不動霊場
十二番霊場 寶勝山 南蔵院 蓮光寺
志村不動尊

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平成廿二年十二月廿六日


26日 八王子       最高気温  10.9℃   最低気温  -0.5℃ 晴
26日 東京大手町    最高気温  10.7℃   最低気温   3.7℃ 晴

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寶勝山 南蔵院 蓮光寺

志村不動尊

波羅波羅(はらはら)童子

真言宗 智山派
御詠歌

御膳所の

誉れも高き

櫻寺

実りの光 

代々を照らさん
御朱印 御影 波羅波羅(はらはら)童子

お寺の縁起
南蔵院開山
中世の昔、新井三郎盛久は他の仲間達と戦乱を避けて、ここ武蔵国豊島郡の志村庄に移り住み、荒れ地を開墾して蓮沼村を開いた。
村の年寄役であった盛久は村の生活が軌道に乗ってくると、未だ仏事を掌る寺がないことを悲しんだ。そこで開山に宥照上人を招いて、自らが開基となって志村坂下に寺院を創建した。これが当院の始まりである。
以後、盛久の子孫は代々、村の年寄役を務めて当院を保護し続けてきた。掌る 御本尊には十一面観世音菩薩が安置された。その後当院は、弘法大師空海が自らを刻んだ大師坐像と、行基菩薩作の阿弥陀如来像を拝受して、本尊の傍らに安置した。
しかし、拡大する戦乱に堂宇はとうとう全焼の憂き目に遭い、すんでのところで諸尊像は運び出されて焼失の難は免れたが、古文書などの他の寺宝は灰燼に帰してしまった。



移転を重ねて

江戸に幕府が開かれると当院の辺り一帯は御料所となった。
もと足立郡横曽根村吉祥院に属していたが、そのすぐ後には、上野の寛永寺領となり、江戸から三里の道のりを江戸の人々はしばしば参拝に訪れた。
しかし、当院が別当を兼ねていた氷川神社の一つ、本蓮沼村の氏神が俗に「十度の宮」と称されるほど移転を重ねていたことに示されるように、当地は荒川に近いことから洪水が頻繁で、当院も何度か移転を余儀なくされた。
当院はもとは本蓮沼にあったが、この後、亨保9年(1724)には、荒川の水害を避けて、中山道筋の現在地に、鎮守社の氷川神社もろとも移転し、諸大名の宿寺ともなった。
広大な境内には当院末寺の蓮華寺や金剛院の他、阿弥陀堂や観音堂など多くの堂舎が立ち並び、当院が別当を務めていた三社の氷川神社にも蔵王権現社、御嶽権現社、羽黒稲荷合社、第六天社、弁天社、痘瘡神社、稲荷社などが並び、壮観を呈していた。


櫻寺

亨保7年(1722)11月25日、徳川八代将軍吉宗が鷹狩の際に当院に立ち寄って当縁起を尋ねられた。吉宗は当院の由緒を知って苦難の道のりに感じ入り、当院に白銀を奉納し、以後、御膳所に命じられた。
帰り際、吉宗が境内にある見事な枝垂櫻に目を留め、ふるさとの紀州に咲きほこっていた櫻を思い出したのか、当院を櫻寺と名付けられた。
また、現在東京には古くから櫻の名所として知られた場所が何ヵ所かありますが、そのほとんどが将軍吉宗の植樹になる櫻だということは案外知られていません。
吉宗の櫻に対する思いの深さを感じとれる。

志村不動尊

当院にお祀りする不動尊は、もともとは当院の末寺であり、近隣に建っていた「命王山金剛院」の本尊であった。
この不動尊は、蓮沼村ばかりでなく、志村庄をも代表する不動尊であったことから「志村不動尊」と称され、広く人々の参詣を集めていた。
昭和2年(1927)にこの金剛院を当院が合併したときに、その御本尊を本堂ごと境内に移築したのが、現在の当院の不動堂である。
特に厄難消除の本尊として知られ、その利益に与った方は大勢いる。
ある御信徒の話では、仕事の都合で始発に乗らねばならなかった日に、志村のお不動さまの夢で寝坊をしてしまい、あわてて停留所へ駆け付けると、停留所にはダンプが突っ込んでおり、なぎ倒された人々で血の海地獄であった。
「お不動さまにお助けいただいた」と震えずにはいられなかったそうである。


戦後の移転

江戸時代より維持していた壮大な伽藍も、太平洋戦争での戦災によって灰燼に帰してしまうと寺の姿も一変した。
境内はだいぶ狭くなったものの伽藍は昭和31年に再建され、さらに昭和53年には本堂が改築された。いにしえの御尊像の数々は変わらずに当院の堂に集まっている。
地蔵堂の本尊も俗に歯の痛みが治る「はいた地蔵」と称されて、今なお多くの信仰を集めている。
                                        (南蔵院HPより)

南蔵院の縁起

南蔵院は、開基開山について不詳ですが、
寛永7年(1630)頃に志村坂下に開創したとされています。
享保9年(1724)に当地へ移転、また8代将軍吉宗の時に御膳所として使用されました。
昭和2年、隣にあった末寺金剛院を合併し、現在に至ります。


板橋区教育委員会掲示による南蔵院の縁起

真言宗 寶勝山蓮光寺と号する。
本尊は十一面観音、弘法大師がお護摩の灰をもってご自作された自像、また行基菩薩作の阿弥陀像と伝えられる各像を安置する。
当寺はもと荒川の近く志村坂下に創建され、開基を新井三郎盛久の一族が戦乱を避けてここに土着し建立したという。
享保7年(1722)8代将軍吉宗が戸田川(荒川)で鷹狩りを行った時、御膳所と定めた由緒ある寺であるが、度重なる荒川の氾濫のため寺宝の一切を失ってしまった。
享保9年(1724)、この水禍を避けるため、氏神と共に現地丘上に移った。
神仏混交の時代、この寺が別当をしていた蓮沼氷川神社を俗に「十度の宮」と呼んでいた。
出水の都度流失し、社殿が移動した結果の呼称である。
その後、隣寺金剛院を合併し現在に至る。(板橋区教育委員会)


いたばしの寺院による南蔵院の縁起

人皇109代明正天皇の御宇寛永7年頃開創と当山の縁起にあるも、開基開山ともに不詳。
度重なる出水のため記録類のすべてを失う。
新編武蔵風土記稿によれば開基は村民三郎右衛門の先祖新井盛久、開山は宥照と伝える。
寛文2年3月28日頃は志村坂下にあったが、第5世宥照和尚が開山となり、享保年間に現在地に移転したという。
享保7年11月25日将軍吉宗が遊猟の際膳所となり白銀を賜る。
昭和2年隣寺明王山金剛院を合併して今日に至る。
昭和53年5月14日に、坂下2-24-14に「南蔵院寺屋敷址」の記念碑を立つ。

不動堂

「新編武蔵風土記稿」に「金剛院、同門徒。
命王山と号す、本尊不動」とあるが、もと隣寺金剛院持であったのを昭和2年に境内に移したものである。
昭和52年改築の際、次の棟札を発見した。
「奉棟上天御中主神堂営永久吉祥。
天保4年大工小豆沢村住人。
石塚内記藤原光好」(いたばしの寺院より)


新編武蔵風土記稿による南蔵院の縁起

新義真言宗、足立郡横曽根村吉祥院末、宝勝山蓮光寺と号す、
本尊十一面観音傍に弘法大師自作の坐像安す、
開山宥照、開基は村民三郎右衛門が先祖新井三郎盛久なりと云、
享保7年11月25日有徳院殿此辺御遊猟の時始めて御膳所に命ぜられし時の住僧拝謁して白銀を賜ふ、
金剛院同門徒命王山と号す。(新編武蔵風土記稿より)

                                                                                                                    
12時59分 池袋行きの電車が入ってきました。地下鉄と相互乗り入れをしているので気を付けないと大変です。
池袋駅でJR埼京線に乗り換え、板橋駅で降りました。
ここではJRと都営地下鉄は繋がっていないので駅の外に出て歩きます。 西高島平行きの電車に乗ります。
新板橋駅から本蓮沼駅まで都営地下鉄で行きます。
駅から歩くと、大きな布袋様が迎えています。 門松
真言宗智山派
寶勝山 南蔵院
参道 弘法大師
豊嶋八十八箇所

弘法大師霊場


第三十四番 南藏院

               板 橋 十 景
          平成15年2月に区制70周年を記念して区民応募により
          「板橋十景」を選定しました。(板橋区)
      1.赤塚溜池公園周辺
(赤塚5丁目)
      2.板橋
(本町)
      3.いたばし花火大会
(荒川河川敷)
      4.志村一里塚
(志村1丁目)
      5.石神井川の桜並木
(石神井川沿い)
      6.松月院
(赤塚8丁目)
      7.田遊び
(徳丸北野神社/徳丸6丁目)
      8.高島平団地とけやき並木
(高島平2・3丁目)
      9.東京大仏
(乗蓮寺/赤塚5丁目)
     10.
南蔵院のしだれ桜

境内のしだれ櫻 (四季歩のつれづれより)
    六地蔵  
 
地藏菩薩
 

此の三体の石地蔵尊は大正十二年関東大震災
のおり南藏院山門倒壊南藏院山門倒壊し新井
三郎右衛門晴光が再建に當たりしとき旧山門の
跡より発掘されたもので、そのいわれについては
明らかでない
地蔵菩薩は六道能化の菩薩で慈悲をほどこし
こどもの霊魂をまもるという佛である
古人がこどもの幸福を願いて建立したもので
あろう。今は破損もはげしく往時の姿を偲ぶべ
くもない
古人を偲びこどもたちの幸せを願いこれを
 新井チヨ再建する

 
  昭和四十三年七月
 
 
              
               
南  蔵  院

 眞言宗 寶勝山蓮光寺と号する。
本尊は十一面観音、弘法大師がお護摩の灰をもってご自作された自像、
また行基菩薩作の阿弥陀像と伝えられる各像を安置する。
 当寺はもと荒川の近く志村坂下に創建され、開基を新井三郎盛久の一族が戦国の
戦乱を避けてここに土着し、建立したという。
 享保七(1722)年、八代将軍吉宗が戸田川(荒川)で鷹狩りを行った時
御膳所と定めた由緒ある寺であるが、度重なる荒川の氾濫のため寺宝の一切を
失ってしまった。
 享保九(1724)年、この水禍を避けるため、氏神と共に現地丘上に移った。
神仏混交の時代、この寺が別当をしていた氷川神社を俗に「十度の宮」と呼んでいた。
出水の都度流失し、社殿が移動した結果の呼称である。
その後、隣寺金剛院を合併し現在に至る。

   平成四年三月
              板橋区教育委員会


                               
                               羽黒三山供養塔 (四季歩のつれづれより)

                        板橋区の現存する中でも最も古いとされている坐像です。
                        右:月山供養塔 文化元年(1804)塔の上には阿弥陀如来坐像。
                        中央:出羽三山供養塔 安永6(1777)塔の上には大日如来坐像。
                        左:羽黒山供養塔 文化元年(1804)塔の上は聖観音菩薩坐像


羽黒三山供養塔
天下泰平
月山供養塔
國土安穏



月山  天下恭王
湯殿山 供養所願成就所
羽黒山 月日清明 


五穀成就
羽黒山諸願成就
村内安全
東叡山御領
開眼供弘法大師千百年遠忌供養塔
文化元甲子年
手には羂索、蓮の花、弓、矢を持っている。
弘法大師 千百年遠忌供養塔 弘法大師  
    千年遠忌  供養塔
庚申塔
庚申塔の日輪と月輪 奉納四國八十八枚二世安楽 奉供養庚申二世
延宝八年庚申九月吉日
庚申塔
             地蔵堂(はいた地蔵)

    地蔵堂の御本尊は地蔵菩薩でございます
    俗に歯の痛みが治る「はいた地蔵」と称されて、今なお多くの信仰を集めております。
    地蔵菩薩は、大地にまいた種が成長し収穫できるように、
    地中に色々なたからものを蔵し人々の役に立ち繁栄できるように、
    そして死んでいった後の世までも慈悲の手をたれて下さると言う
    人々を慈しむ心を無限にもっておられます。
    お地蔵様は、生まれた子供を護り、寿命をのばし、
    若死、病難等を除いて下さるという功徳がお経に説かれております。
    当院の山門内右側にある六体のお地蔵さまは、「六地蔵」と申し上げ六種に身をかえて、
    それぞれ六道の人々を救って下さるお地蔵様たちです。



                             地蔵堂
                         地  蔵  菩  薩
                        別名悲願金剛・悲愍金剛・与願金剛と申します。大地のように安定し、万物
                       を育てる力と心をもち、釈迦の入滅後、彌勒仏が現れるまでの無仏の時代に僧
                       侶の姿(比丘形)でこの世に現れ、六道のひとびとを救い、みんなを救つてか
                       ら自分は仏になることをご誓願にしている仏さまです。
                        地蔵の名のおこりは、ひとびとの苦しみや悩みをとり除き、大地にまいた種
                       が成育し収穫できるように、また地中にいろいろのたからものを藏し、ひとび
                       との役にたち、繁栄させるように、そして、死んでいつた後の世までも慈悲の
                       手をたれて下さると言う。ひとびとをいつくしむ心を無限にもつておられると
                       ころから、地蔵菩薩という名がつけられました。
                        人間はこの世での行いの報いとして、死んだのち六つの世にそれぞれ生まれ
                       ます。これを「地獄」「餓鬼」「畜生」阿修羅」「人間」「天上」の六道といつて
                       いますが、ことにこのうちの、地獄・餓鬼・畜生の三つの世界は苦しみの責苦
                       にあうだけの処なのですが、このようなところにもお地蔵さまは、左手に宝珠
                       をのせ、右手に錫杖をもつて、いつでも、どこでも、苦しみ救いを求めている
                       ひとびとのところに出むいて行き、懺悔改心させ救つて下さる慈悲深い仏さま
                       です。
                        お地蔵さまをもつと身近かなものにしたのは、賽の河原のかなしい和讃です。
                       親子の縁が薄く幼なくして死んだ子供らや、まだこの世の陽の目をみないうち
                       に、母親の胎内から去つていつた水子、母に名を呼ばれず、手を合すことすら
                       知らないで死んで行つた水子たちの物語です。
                       お地蔵さまは、新たに生まれた子供を護り、その寿命をのばし、若死、そして
                       すべてのひとびとの病難、悩み等を除いて下さるという功徳がお経に説かれて
                       おります。
                        また山門内右側の六体のお地蔵さまは、「六地蔵」と申しあげ、六種に身をか
                       えてそれぞれ六道のひとびとを救って下さるお地蔵さまたちです。
                                             ご縁日     毎月二十四日
                          地蔵菩薩真言
                              おんかかかびさんまえいそわか

不 動 堂

                         護摩堂
                                   御本尊 
不 動 明 王
                        五大明王・八大明王(降三世・軍荼利・大威徳・金剛夜叉・烏枢沙摩・愛染
                       ・大元帥各明王)の主導で、大日如来さまが一切の悪を退治するために、忿怒
                       の相に化身したとされる明王さまです。別名不動威怒明王・無動尊と申します。
                       私たちの煩悩や悪魔・災いから救わずにはいられない大慈悲心に満ち、つねに
                       仏ごころをおこさせて導くという役目をもつておられます。
                        髪は蓮の形に結んで頂に乗せ、弁髪と呼ばれる髪を左肩にたらし、両眼を見
                       開き、口もとはかみしめて右は上、左は下へ牙をだし、下半身は裳を着け、上
                       半身は条帛と呼ばれる布をまとい、盤石の上にお坐りになつておられます。身
                       色は青黒で降魔の義を表し、背後の火焔は火がすべてのものを焼き尽すように、
                       ひとびとの迷いや欲望を焼き尽くし、またすべての災難の種を焼いて願いをかな
                       えて下さるという、願心をあらわしておいでになります。他に矜迦羅・制吒迦
                       両童子を率いる三尊像です。
                        持ち物は、右に煩悩を断ち切る利剣を握り、左手には羂索をもつておられま
                       す。言うことを聞かない敵をしばりあげ、ときにはその命をも断つというもの
                       でありますが、それと同時に自分の欲望や迷いをたち切り、勝手気ままになり
                       がちなおのれの心をしばりつけるという剣と紐でもあります。
                        お不動さまの信仰は、仏教”動”の世界です。動きをおさえるのではなく、
                       躍動する力を発揮させる明王です。故に古くからおおぜいのひとびとから信仰
                       されてきているのです。一心に祈れば何ごとによらず一つは必ずかなえて下さ
                       る明王さま、もしちょっとでも修行をおこたれば仏罰たちどころにくだるとい
                       う、有難いかわりに又おそろしい明王さまです。堅固不動の心、諸願成就、災
                       難、厄難、病難等すべての難を除き、財富を得、商売、事業の繁昌、福徳円満
                       等の功徳がおおくの諸軌に説かれております。

                       御 本 尊 真 言                  ご縁日   毎月二十八日
                           のうまくさまんだばざらだんかん

本尊の「志村不動尊」(四季歩のつれづれより)
不動堂の本尊が「志村不動尊」ですが、その前に「明王」だと思いますが飾られています。(四季歩のつれづれより)
明王の主をなすのが不動明王ですから、不動明王を中心にして明王がそろい踏みといったところでしょう。(四季歩のつれづれより)


扁額「南藏院」

本堂
本堂の御本尊は十一面観世音菩薩でございます。
十一面の仏面は、人々の愚痴を断ち、仏の位を得させる功徳を表しております。
また、この御本尊の他、行基菩薩がお作りになった阿弥陀如来坐像や、
弘法大使が天長年中相州江ノ島で一万座の護摩修行をなさった時の灰でご自作なされた、厄除大使が奉安されております。



庚申地蔵
【板橋区有形文化財】
当像は、承応2年(1653)に蓮沼村の庚申講中の十人によって建立された、
板橋区内で現在確認されている203基の庚申塔の中でも二番目に古いものです。
庚申信仰は、奈良時代に日本に入ってきた中国の道教で説く「三尸(さんし)説」をもとに、
仏教や神道、修験道、呪術的な医学などのさまざまな民間信仰や習俗などが融合してできあがったものです。
平安時代に貴族の間で流行し、その後室町時代になると本尊を掲げて宗教儀礼を伴う庚申待が行われるようになりました。
江戸時代には、庶民に広く普及し、庚申塔が数多く造立されました。
当像は、江戸時代に地蔵が庚申信仰の礼拝対象であったことを示す代表的な例としても貴重です。

庫裏で御朱印を頂きました。
14時20分 南蔵院を発ちました。 14時45分 赤羽駅で
宇都宮線に乗り換え 15時04分 大宮駅に着きました。 15時34分 家に着く頃には
陽が落ちるところでした。