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平成卅年一月十六日
東京 北の丸公園 最高気温13.7℃ 最低気温1.4℃ 晴 最大瞬間風速5.6m/s SSE
巡礼・お遍路 閻魔詣


御朱印



善養寺の概要
天台宗寺院の善養寺は、薬王山延寿院と号します。
善養寺は、天長年間(824-833)に上野山内に創立したと伝えられ、上野東叡山寛永寺末です。
本堂には高さ約3メートルの江戸三閻魔の一つ木造閻魔王坐像が鎮座しており、おえんまさまの寺として信仰を集めています。



善養寺の縁起

善養寺は、天長年間(824-833)に上野山内に創立したと伝えられ、上野東叡山寛永寺末です。
本堂には高さ約3メートルの江戸三閻魔の一つ木造閻魔王坐像が鎮座しており、おえんまさまの寺として信仰を集めています。

豊島区教育委員会掲示による善養寺の縁起
善養寺は、天長年間(824-833)に開基である慈覚大師が上野山内に創立したと伝えられる天台宗の寺院で、正式には薬王山延寿院善養寺という。
東叡山寛永寺の末寺で、本尊は薬師如来像である。
江戸時代の寛文年間(1661-72)に下谷坂本(後の下谷区善養寺町、元台東区上野公園)に移転した後、境内地が鉄道用地の拡張にかかるといいうことで、明治45年に北豊島郡巣鴨村大字巣鴨字庚申塚347番地(現在地)へ移転し、現在に至っている。
本堂には高さ約3メートルの木造閻魔王坐像(豊島区登録有形文化財)が鎮座し、広く信仰を集めていることから「おえんまさまの寺」とも呼ばれ、また、杉並区松ノ木3丁目に所在する華徳院、新宿区新宿2丁目に所在する太宗寺とともに、江戸三閻魔の一つとしても親しまれてきた。
境内には、寛永6年(1629)造立の石燈籠をはじめ、延宝8年(1788)の宝篋印塔、また江戸時代中期に陶工・絵師として活躍した尾形乾山の墓(東京都指定旧跡)やフランスでジュリオ・キュリー教授(キュリー夫人の娘婿)の指導を受けた原子物理学者湯浅年子の墓など、多くの貴重な文化財が残されている。
                                         (東京都豊島区教育委員会掲示より)


                        
10時57分 王子駅に着きました。  中央口から外に出て都電荒川線に向かいました。
11時00分にちんちん電車がやってきました。
電車内は相当混んでいます。
11時10分西ヶ原四丁目で降りました。
天理教麹町大教會神殿 豊島区西巣鴨四丁目23 浄土宗 良感寺
曹洞宗 清巌寺 天台宗 善養寺

善養寺は、天長年間(824-833)に開基である慈覚大師が上野山内に創立したと伝えられる天台宗の寺院で、
正式には薬王山延寿院善養寺という。
東叡山寛永寺の末寺で、本尊は薬師如来像である。
江戸時代の寛文年間(1661-72)に下谷坂本(後の下谷区善養寺町、
元台東区上野公園)に移転した後、境内地が鉄道用地の拡張にかかるといいうことで、
明治45年に北豊島郡巣鴨村大字巣鴨字庚申塚347番地(現在地)へ移転し、現在に至っている。
本堂には高さ約3メートルの木造閻魔王坐像(豊島区登録有形文化財)が鎮座し、
広く信仰を集めていることから「おえんまさまの寺」とも呼ばれ、
また、杉並区松ノ木3丁目に所在する華徳院、新宿区新宿2丁目に所在する太宗寺とともに、
江戸三閻魔の一つとしても親しまれてきた。
境内には、寛永6年(1629)造立の石燈籠をはじめ、延宝8年(1788)の宝篋印塔、
また江戸時代中期に陶工・絵師として活躍した尾形乾山の墓(東京都指定旧跡)や
フランスでジュリオ・キュリー教授(キュリー夫人の娘婿)の指導を受けた原子物理学者湯浅年子の墓など、
多くの貴重な文化財が残されている。
                                         (東京都豊島区教育委員会掲示より)

えんま大王 扁額「薬王山」 最上段には 履物を脱いで 上って下さい
扁額「薬王山」 お賽銭をあげてから内陣に上がりました。 閻魔様がいらっしゃいます。
閻魔大王様 迫力があります。 やはり江戸三大閻魔ですね。

第50代横綱 佐田の山晋松、出羽海智敬として部屋を継承
1992年第7代日本相撲協会理事長の職に就く。
協会に刷新の気風を醸成し、より一層時代の変革に合った改革で相撲道の発展に尽くした。
                   (出羽海部屋の歴史より)

出羽海智敬さんは佐田の山関でしたか。
相撲解説者の舞の海さんは厳しい指導を受けたそうです。

薬王山 閻魔大王 善養寺    除厄 除病 成就 息災 延寿 産生
地獄絵図
閻魔様にお礼を述べてから部屋を出ました。
本堂の隣にあります庫裏で御朱印を戴きました。
有難や茶碗たのしみ一生を
○の教で吾ら極楽
塵外庵悟明
表千家宗悟
台座には夢とあります。 お地蔵さんのようです。
六地蔵 お稲荷さん 懐かしいポンプ井戸

東京都指定旧跡
尾形乾山墓並びに碑
所在地 豊島区西巣鴨四の八の二五

善養寺墓地内

標 識 昭和七年七月一日

指 定 昭和三○年三月二八日


尾形乾山(1663ー1743)は、京都の
呉服商の家に生まれました。
名を惟充、通称
を権平、新三郎といい、乾山は号です。
江戸
時代中期の陶工、絵師として知られています。
画法を兄光琳に、陶芸を野々村仁清に学び、京都の鳴滝、次に二条丁子屋町で作陶に励みました。
その後、享保一六年(1731)に
江戸下谷の入谷村に移り住み、窯を開きました。
寛保三年(1743)に亡くなり、下谷坂
本の善養寺に葬られました。
その後、彼の墓
の存在は忘れられていましたが、
江戸琳派
の酒井抱一らによって発見され文政六年(1823)に顕彰碑である「乾山深省蹟」が建てられました。
善養寺の移転などにより、数
度の移動を経て現在の場所にあります。
 平成二四年三月 建設 東京都教育委員会

水仙が一輪咲いています。 遠くにビルが見えます。 お墓が混んでいます。
元下谷坂本善養寺道 大正元年九月立之 有難や茶碗たのしみ一生を
○の教で吾ら極楽
塵外庵悟明
表千家宗悟
茶釜塚 真っ赤なサザンカ 親カエルに子供のカエルが乗っています。
本堂に一礼してお寺を発ちます。 湯淺家の墓 戒名

湯浅年子
国際的に活躍した
日本女性初の物理学者


一九○九年東京に生まれる。
東京文理科大学卒業後、四○年渡仏。
ジョリオ=キュリー夫妻に師事して
原子核の実験的研究を開始。

四三年フランス国家理学博士。
大戦のため四五年帰国。
母校・東京女子高等師範学校教授として
後進の育成、
お茶の水女子大学の設立に尽力。
四九年再渡仏。

以降フランスの原子力研究所にあって、
β崩壊、原子核反応、
少数核子系などの最先端の問題に挑戦、

その優れた業績により世界的地歩を築いた。
また日仏の研究協力に努めて
学術交流に貢献した。

比類なき行動力、
溢れるばかりの知性と感性は人々を魅了し、

その深い真情・思索に満ちた著作と、
広い交友により、

日仏の文化交流にも大きな足跡を残した。

一九八○年パリに没す。    享年七○歳

       紫綬褒章・勲三等瑞宝章受章
       二○○一年六月  有志一同

本堂 お隣のお寺は明治四拾弐年四谷より移轉

お岩様のお寺

長德山 妙行寺